しののめ日記

汐見 彩 のブログ

採血で卒倒する人しない人

 20代の若い友人が言う。


「注射が怖いんです。
  採血なんてもっと怖くて…。」

明朗快活を絵に描いたような
ハツラツとした彼女の意外な一面
というヤツだ。

「かわいいとこあるやん。」

とギャップ萌え。

実際、顔もかわいいところがズルいと

私は僻んでしまう。


注射針を前に渦巻く彼女の恐怖感に、
看護師達は

「こいつぶっ倒れるぞ」

と言わんばかりに目くばせすると言う。

「横になる場所を確保だ!」と。
(しかし倒れたことはないらしい。)

若かりし頃の私は
採血の度にぶっ倒れていた。

 

細い血管を太らせるため、
私の腕にゴムバンドを
キツく巻いている看護師に向って私は言う。

「すいません。
   暫く私に話しかけててもらえますか?」

恐怖心を悟られまいと
へっちゃら顔でナゾのお願いをしていた。
気を紛らわせたかった。

採血し得る血管はなかなか出てこんわ、
みょうちきりんな申し出はあるわ、
看護師の困惑が毎回伝わってきた。

ぎこちないトークの末

採血は無事に終わった…と見せかけて

ぶっ倒れる。

迷惑至極。

 

トーク、意味なし。
気、紛れてない。

そんなことなら
予告しておいた方が看護師のためだ。

時空を超えて、衷心より陳謝いたす。

いつからだろう。
採血される様をガン見
するようになったのは。

献血中も同様だ。
成分献血の回は特に目が離せない。

一旦取り出した真っ赤な血液が
遠心分離機にかけられる。
分離された成分(血漿・血小板)は
朝イチの尿のような黄色をしている。
カテーテルを通して
半透明のバッグにおさまった尿…
かと思いきや、
それは誰かの命の糧となり得る
私の血液の一部なのだ。

これをして
【奇跡の小宇宙・人体】
を感じないではいられない。
献血ルームの雑誌もテレビも
私には無用の長物だ。

 

f:id:megbea:20180718171250j:plain


元々女子校だった出身校には看護科があった。3年間で准看護士、という訳だ。現在、准看護士はいない(新たに誕生はしない)って知ってました?看護科はなくなり、中高一貫校になった母校を偲んでコレ読んでみようかな。読んでどうする、とか言いっこナシで。


さて、若い友人の「恐怖心の元」
は何なのだろう。

針が怖いのだろうか。
尖端恐怖症というやつだろうか。
尖がった上に硬い物体が
自らの柔肌を貫通する様が
想像だに怖いということなのだろうか。

チクッまでの時間?
そもそも痛みが怖いのだろうか。

 

そういう自分はどうだったのだろう。
何故ぶっ倒れていた?

先に述べた「恐怖心の元」予測
それに似た理由だったかもしれない。

自分の身体を今より慈しむがゆえの恐怖
だったように思えてきた。
自らの身体を絶え間なく流れる血液が
取り出される恐怖。
針穴ヒトツさえ
身体に傷がつくことへの恐怖。

痛みに強いか弱いか…
によるところも大きいだろうが
些細な痛みに関しては恐怖心はなかった。

 

 


つづく