しののめ日記

汐見 彩 のブログ

映画『ボヘミアン・ラプソディ』ゴールデングローブ賞 受賞おめでとう オスカー受賞なるか!?

2019年の年明け早々
ゴールデン・グローブ賞「作品賞」の栄冠に輝いた。
 
ラミ・マレックは「主演男優賞」を受賞。
 
 
 
このGG賞を皮切りにして1ヶ月余り。
既に5つの主演男優賞※がおくられている。
 
 サテライト賞
 (英国アカデミー賞は音響賞も受賞)  
 
 
 あまたあるいわゆる映画賞。
これまで数百本の映画を観てきて
私は常々思っていた。
「受賞を喜ぶべきは
    製作サイド・演者ばかりである」と。
 
観客である私は
「へーそうーなんやー。」
ないし
「おぅ!おめでとうございます。」
程度の関心しか寄せていなかった。
 
「受賞」
なんだなんだ?このワクワク感。
いつになく嬉しい気持ちになった。
 
鑑賞後もワクワクさせるたぁ
これが真のエンターテインメントか!?
思ったり思わなかったり。
 
っていうか、映画賞って
思った以上にぎょうさんあるねんな。
 
 
オスカー (アカデミー賞) 受賞の期待が高まる中
今一度『ボヘミアン・ラプソディ』の魅力を
クドく語ってみたいと思う。
 
 
 
 
日本での興行収入が100億円突破という
予想外のヒット作となった今作。
製作サイドの
商業ベースによるものだけではない
映画創りを見たように私は思う。
 
彼らのQUEENへの深い理解と
何より愛情が垣間見えたからだ。
 
フレディのレガシーを引き継ぎ
QUEENとしての活動を続ける
ブライアンとロジャー。
彼らが製作に関わった功績も忘れてはならない。
 
その描かれ方は実に
「チャーミングな男」であった。
 
おそらく、
品行方正ばかりとはいかない彼の私生活を
センセーショナルに描くことに
ブライアンとロジャーは価値を見出さない。
 
2人は音楽を共有したバンド
QUEENのメンバーであり、
またフレディの「家族」でもある。
 
世界に伝えたいことは
誇り高きQUEENの楽曲の素晴らしさ!
そしてフレディ・マーキュリーという
無邪気で憎めない魅力的な天才が存在した
ということに尽きるのだろう。
 
QUEENをよく知らない
人々・若い世代にまで広く深く
愛される作品となった今作。
それは、とてつもなく素晴らしい
QUEENの楽曲ありきなのだ。
 
 
バンドと対立するレーベルEMIのお偉いさん。
(ボヘミアンラプソディを酷評するワカラズヤ!) 
現実ではQUEENの大ファンである
マイク・マイヤーズを
役に据えていたことも憎い演出だ。
(クレジットを見るまで気付かなかった!)
 
10代の頃
TSUTAYAでバイトをしていた私は
彼の主演作『ウェインズ・ワールド』を借りる。
作中に流れる「ボヘミアン・ラプソディ
その衝撃!
 
その後、
QUEENファンの友人に借りて聴いたCD。
鳥肌が立ちっぱなしだった。
 
それまで折に触れ
QUEENの楽曲を耳にする機会はあったものの
『ウェインズ・ワールド』
私のQUEEN初体験ではなかったか
と振り返ったりもした。
 
10年単位で「QUEENと私」
に懐古を巡らせられるのは
中年・初老世代の醍醐味・特権だな…。
 
 
今作品への熱い想いは
エンドロールが上がり切るまで続いた。 
 
"Don't stop me now " と共に
軽快にエンドロールが流れる。
 
ライブ・エイドシーンの興奮が
心地好い余韻としてのまま温められる。
 
わかっているはずの
フレディの死の知らせと彼の映像に
少しばかり切なくなりながらも…。
 
そして曲が
"Show must go on" に切り替わった瞬間
また鳥肌が立つ。
 
ショーはまだ終わらない…。」
     Show must go on
 
 
フレディがこの世を去る数ヵ月前に
レコーディングされたとされるこの曲。
 
ブライアンがそのデモテープを
フレディに聴かせた際、
この高音域を彼が唄い切れるものかと
案じるほどの病状であったとも言われている。
 
気遣うブライアンに
フレディはこう返したという。  
 
“I'll fucking do it, darling. ” 
(僕はこの曲に全てを捧げるよ、ダーリン。)
 
Wikipediaでは
このように(やわらかく)訳されている。
 
映画の中で、
メンバーに病を告白するシーンでは自らを
Freddie fucking Mercury と称したフレディ。
 
彼はおどけて見せながら
計り知れぬ恐怖と葛藤に打ち勝ち、
希望をまとった姿をみせつけた。
 
この曲名 
The Show Must Go On
実はことわざ(SAYING)として使われている。
起源はshow(劇)
の運びにまつわって…である。
 
 
Cambridge Dictionaryの記載を引用
the show must go on
SAYING
said to encourage someone to continue with what they are doing, even they are experiencing difficulties

(Show・劇中)いかなるトラブルに見舞われようと
はじめたことを最後までやり通すほかない(と激励する)
 
訳すとそんなところだろうか。
 
 
 
The Show Must Go On   

“I'll fucking do it, darling. ” 
底知れぬ決意を滲ませ、
彼がこの曲との対峙の熱意を
ブライアンに宣言する姿を思い浮かべた。
 
言葉を紡ぎながら
フレディは己を鼓舞し、
文字通り全てを捧げて挑んだのだろう。
 
いつなんどきも音楽とともにあった
彼の純真を想う。
 
これが泣かいでいられるか!
 
ブライアンとの逸話を知った以降の鑑賞は
涙を拭うハンカチをもうひと濡らしさせた。
 
ここでヒトツ、
 製作サイドに唯一の苦言を呈するとしたら…
 
  「歌詞・対訳を出さんかーい!」
 

もとい
多くの歌い手がこの曲を唄いつないでいる。
けれど、
フレディの声からしか感じられない熾烈さは
私の中で未来永劫変わることはないだろう。
 
 
 
1991年11月24日にフレディは亡くなる。
その約半年後の1992年4月20日
ウェンブリー・スタジアムで行われた追悼コンサート
 
ジョージ・マイケルをフロントマンに据え、
メンバー3人の演奏で
愛に全てを/Somebody to Love 』が披露された。
 
そうそうたる参加アーティストの中でも
群を抜いたパフォーマンスであったことは間違いない。
それでも、演奏をする3人の、
とりわけジョンの滲み出る哀愁に
私は胸を突かれた…。
 
 
 
QUEEN+ポール・ロジャース
 
申し分ない歌唱力のヴォーカリストとの活動
それはあくまで【QUEEN puls】なのだ。
 
ブライアンとロジャーのQUEENへの誇りと
フレディへの敬意と愛情があらわれている
と言えないだろうか。 
 
ポール・ロジャース、
パワフルな声量と確かな歌唱力。
 
けれど、正直に言うと
「2回目は聴かなくていいかな…」
と私は思った。
 
「やっぱりフレディでないと…。」
たちまちセンチメンタルな気持ちに浸ってしまう。
 
歌の上手さだけでは動かせない何か…
フレディの生き様をもってしてしか動かせない何か…。
そんなものが
一度彼の歌声に魅了された者の心に
宿ってしまうように思った。
 
フレディでないと…。
 
ただひとり、
ブライアンも惚れ込んだレディ・ガガ。
彼女との “plus” 活動は見てみたい気もする。
彼女の生き様はフレディを通じて
聴衆に語り掛ける力を持っている
そんな期待があるのだ。
 
 
1997年
残された3人での発表となった
「ノーワン・バット・ユー」
( No-One but You (Only the Good Die Young )) 
 
ジョンは
「フレディ以外のヴォーカリストは考えられない」
として、この曲を最後に事実上の引退をした。
 
このことを
QUEEN愛に溢れ潔く喜ばしい決断だ
と感じるファンもいるだろう。
その一方で、
QUEENとしての活動を継続する
ブライアンとロジャーを
批判する声もあったのだという。
 
けれど、賛否両論ある中
QUEENの金字塔を守り続けた2人の誇りこそが、
今回の映画製作を実現し大ヒットへ誘ったと
言えるのではないかと私は思う。
 
そういう意味でも、この映画が
「史実通りに描かれていない」ということが
如何に大した問題ではないということを
私は感じて止まない。
 
「そういう物語」として映画を盛り立てたのは、
やはりQUEENの楽曲の素晴らしさあってのことだ。
 
 
製作サイドの様々な構成力は言うまでもなく、
選曲の妙にしてやられた。
無論、絶妙な選曲を可能にする偉業、
フレディ・マーキュリーの
生き様を感じずにはいられない。
 
劇場に居合わせた若い世代、
きっと彼らにQUEENは愛し継がれた。
新しい世代に愛し続けられるのだろう。
 
まさに The Show Must Go On 
 
QUEENは終わらない。」
 
そう胸を熱くしたのは私だけではないはずだ。
 
 
QUEENは、
フレディ・マーキュリーは、伝説である…
時空を超え再び証明された映画だった。
 

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心からの「おめでとう!」をおくりたい絵面