しののめ日記

汐見 彩 のブログ

映画『ボヘミアン・ラプソディ』/フレディに恋をした

今年観た映画は35本ほど。
若かりし頃に比べると随分と少ない。
 
ま、少ないなりにトップ3を考えた。
ボヘミアンラプソディ』が
ラン、ク イーン!
 
 
 

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2018年11月9日ロードショー
 
2018年11月9日の公開日から
2週間目に劇場に足を運んだ。
その日は休日ということもあり満席。
客層は実に様々で年齢層も幅広く、
そのことが、鑑賞前から
私の胸を熱くしていた。
 
映画の感想等については
また別の機会に…として、
QUEENファンは言うまでもなく
すべての音楽(ROCK)ファンに
観て欲しいと思った。
 
観客の年齢層がさまざまであるように、
感じ入る場面もひとそれぞれ。
心揺をさぶられる
拾いどころがちりばめられていた。
 
「ラスト21分」
に象徴されるライブシーン。
スクリーン前、
各々のオーディエンスが
時空を超えてひとつになった。
 
 

よくよく考えてみ…るまでもなく、
ラスト21分のパフォーマンスまでに、
いやそれ以前の
ポップコーンの列に並んだ次点でも
観客は重々承知している。
「出演者は物語の本人たちではない」
と言うことを。
 
それでもスクリーンの中の
あのパフォーマンスの盛り上がりが、
スクリーンに向かう観客の
鼻のズビズビ音をも
盛り上げてしまうのは何故?
エンドロールが上がり照明が灯り、
パフォーマーのいない舞台へ
拍手が上がったのは何故?
 
これはこの映画を観た人の宿題…
冷めやらぬ興奮を携え、
そんな風に考えながら電車に揺られた。
 
公開から約7週が経過し、
私は3度鑑賞してなお
4回目鑑賞を視野に入れている。
インスタをフォローしているある方は
8週目にしてなんと
20回鑑賞しているそうな。
週2‐3回ペースですよ、奥さん。  
 
 

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バンドは家族

そして、鑑賞して以来、
私の中で留まることのない
QUEENへの関心。
 
楽曲の素晴らしさを
再認識したことは言うまでもない
 
動画などで初めて目にした
若かりし頃の姿」
 
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言うことナシ
 
 
「フレディ全身タイツ期」よりもっと前。
真っ白な衣装を着こなす
か細い肢体。
胸毛の目くらましで気付かなかった
美しい肢体。
ズッきゅーん。
シア・ハート・アタック
(1974年アルバム_Sheer Heart Attack) 
さながら、彼らは射貫く、私のくハート。
体言止めがやまない。  
 
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妖精・胸毛・天使
 
 
また、
男性・女性それぞれの音楽評論家の
QUEEN(フレディ)評の違いも興味深い。
唯一無二のライブ・パフォーマー
デビュー当時及びそれ以降の
彼のルックスの語られ方には
様々あったようだ。
 
男性評論家は概して
ストレートに褒めはしない。
カッコよくない奴が
   カッコつけてるのがイイ!」
そんな、
どことない上から目線の褒め方を
する人が多いと感じた。
(平たく、負け惜しみとも言う)
一方女性評論家は楽曲の良さを大前提に
ルックスを好評価する
 
 
70年代
まだ来日を果たしていない頃の
QUEENのステージ。

その客席で

当時ミュージックライフ誌編集長

東郷かおる子さんが受けた
衝撃と興奮に共感しまくる。
 
優れた音楽性は大前提。
そしてきらびやかなステージ。
そうれはもう血沸き肉躍る
「めっけもん」だったに違いない。
 
「女性に受けないはずはないと思った。」
東郷さんは言い切る。
QUEENの醸し出す清潔感は
男性には感じとる必要のない魅力
ったのかもしれない。
男性目線と女性目線の違いは歴然だ。
 
東郷さんの予想通り、
QUEENは瞬く間に
日本の女性ファンを魅了した。
 
 

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こりゃ女子にウケますぜ
 
 
私の「女子目線」から見た
70年代のQUEEN
清潔感云々だけではない魅力が満載だ。
 
フレディ、
めちゃくちゃカッコイイけど?
真っ黒な長髪にスレンダー過ぎる肢体。
目が合ったらそらせなくなりそうな
鋭い眼光は時にとても甘く
憂いをたたえる…。
 
真っ白なサテンのスーツ(ツナギ)
なんて着た日にゃぁアータ、
メロメロですよ。
 
でもってピアノまで
弾いちゃったりしてよぉー。
やたら姿勢が良いのもなんか萌え~。
 
男性陣、僻んでた?
(認めてまえ!)
なんて訝ってしまう。
 
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ピアノを弾く姿勢がやたらと良いのもイイ

 

 
 
「音楽が好きで内向的なアラブの青年」
(両親がペルシャ出身による?)
デビュー前のフレディを
そう表現した人がいたそうだ。
 
かつて私が知っていた彼の印象とは
ほど遠い形容のされ様。
それも今となっては頷ける。
 
ストーカーさながら、
目を皿にしてデビュー前後の画像を探した。
 

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シャイ・ボーイ
 
 
 
 
共にバンド活動をしていた友人の影響で
QUEENを聴いていた学生時代。
 
中でも気に入ってよく口ずさむ
【KILLER QUEEN】(1974年シングル)
唄いながらついつい
ひげダンスを踊ってしまう。
 
“Don't think, feel !” を
知らないうちに体現してしまうほど、
私の中のフレディ像は永らく
「ヒゲのおいさん」であった。
 

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ヒゲのおいさん
 
 
あの立派なガタイのヒゲのおいさんに
かような美しい青年期があったとは…。
 
「恋しちゃった。」
 
私はここに告白する。
永遠の心の恋人決定で私の人生安泰である。
 
今の自分の年齢で20代のフレディに
「恋しちゃう」ことも、
或いは存命であるとする70代の彼に
「恋しちゃう」ことも、
私という凡人の常識のなかでは
「おいおい、待て待て。」
一家言申し立てたいことではある。
(そもそも…は置いてといてもらおうか!)
 
しかし私は知ってしまった、
止められない気持ちがあるということを…。
その想いは
【Don't stop me now 】(1978年シングル)
もっと言うと
【I was born to love you】
(1985年ソロ活動シングル)である。
ウマいこと言いたかったがため
ばかりではないのが我ながら恐ろしい。
 
誰が傷付くでもない。
良しとしよう。
 
Freddie, we all love you.
 

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目で殺す!

ノースリーブが着られない  半袖厳禁?就職活動

今世で二度としたくないことがある。

 

就職活動

 

汗ばむ季節に

わざわざスーツを着て行う就職活動。


昨今の就職活動は

私の時代のやり方とは随分異なるらしい。

履歴書を手書きで郵送…

なんてことはほぼほぼないと言う。

取って代わるのはやはりネット。

エントリーシートを提出(送信)、

これが最初のご挨拶というわけだ。


茶封筒を抱え

ドキをムネムネさせつつ郵便局へ行く、やら

面接での

「お、顔に似合わずきれいな字だね(笑)」

なんて無駄話やらも生まれまい。

昭和生まれにはちょっと寂しい現実だ。

 

しかし、

いわゆるリクルートスーツに

明らかな変化は見受けられない。

 

「上着で隠れるのだから中のシャツは

    半袖でイイと思わないように。」


「上着の袖口からシャツが見えるかどうか

      面接官には見られてますよ。」

 

大学の就職説明会で指導官から

公明正大に述べられたのだった。

何のための長袖ワザワザ?

 

え、伝統!?

 

は?

 

理由の付かないことの全部を

「伝統」で括ってくれるでない。

そんな長袖、単なる我慢…

ひいては嫌がらせではないか。

「我慢が美徳の日本人」

そんな伝統は

もはや時代錯誤ではないだろうか。

と、我慢が好きな私が言ってみたりする。

自戒の念を込めてみたりする。

こっそり己を鼓舞してみたりする。

 

 

上着も上着で、

猛暑の中、太陽光の吸収し易さを

選りすぐったような色味。

見かけると

「明けない夜はありませんよ。」

心の中で彼・彼女らに声を掛ける。

ついでに言うと、幼子を連れ

ヨレヨレになっている親御さんにも

「明けな…(以下同文)。

 


半袖って素晴らしい。


腕が外気に触れるか触れないかで

こうも体感温度が変わってくるか!

と毎年感動する。
ノースリーブともなると更に肌の露出が増え

もっと素晴らしい涼しさなのだが私は着ない。

少なくとも外出の際は着ない。

 

何故か。

だって、恥ずかしい。

何故恥ずかしいのか。

だってだって腕が太いから!

 

体重を落としても

「肩から脚」

の様相が頑なに維持されるのは何故だろう。



ヨガ・ピラティス、フラダンス…

ちょっと習ってみたいなぁ

心身ともに絶好調な時の私は思ったりする。

しかし、それらの服装・衣装を鑑みて

結局は断念するのだった。

 

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肩どころか、脇まで丸出しですやん

 



牛乳を飲んだコップでそのまま

白濁した麦茶を美味しく頂ける私だ。

そんな風に大雑把な私でも

脇の手入れはまぁまぁしている。
(まぁまぁかよ)

見せて見られて互いに頬を染める…

そんなことにはしていないつもりだ。

 

でも、恥ずかしい。
見せたくない。
見られたくない。
私の脇。

 

言わずもがなの水着

中3の夏を最後に身に着けていない。

聖子ちゃんが語り部となる

♪水着持ってない~ のアノ女子。

彼女にはきっと続きがある。

「でも、あなたのためにこれから買うの」

的な何かが。

 

そんな【ひと夏の脱皮感】

私にはこれまでも

きっとこれからもないだろう。


「脇出し恐怖症」を克服したい自分と、

脇・二の腕を露出を避けることを

恥じらいとして保ちたい私とがいる。

好きにすりゃーイイ、と私の中の私が言う。

まずは二の腕の揺れるフルフルを

どうにか引き締めてのち改めようか。

そうこうしているうちに

またひとつ私の夏は終わっていく。

 

 

つづく(かもしれない)

 

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脱皮して ひと夏を終えるヒグラシよ…



採血で卒倒する人しない人

 20代の若い友人が言う。


「注射が怖いんです。
  採血なんてもっと怖くて…。」

明朗快活を絵に描いたような
ハツラツとした彼女の意外な一面
というヤツだ。

「かわいいとこあるやん。」

とギャップ萌え。

実際、顔もかわいいところがズルいと

私は僻んでしまう。


注射針を前に渦巻く彼女の恐怖感に、
看護師達は

「こいつぶっ倒れるぞ」

と言わんばかりに目くばせすると言う。

「横になる場所を確保だ!」と。
(しかし倒れたことはないらしい。)

若かりし頃の私は
採血の度にぶっ倒れていた。

 

細い血管を太らせるため、
私の腕にゴムバンドを
キツく巻いている看護師に向って私は言う。

「すいません。
   暫く私に話しかけててもらえますか?」

恐怖心を悟られまいと
へっちゃら顔でナゾのお願いをしていた。
気を紛らわせたかった。

採血し得る血管はなかなか出てこんわ、
みょうちきりんな申し出はあるわ、
看護師の困惑が毎回伝わってきた。

ぎこちないトークの末

採血は無事に終わった…と見せかけて

ぶっ倒れる。

迷惑至極。

 

トーク、意味なし。
気、紛れてない。

そんなことなら
予告しておいた方が看護師のためだ。

時空を超えて、衷心より陳謝いたす。

いつからだろう。
採血される様をガン見
するようになったのは。

献血中も同様だ。
成分献血の回は特に目が離せない。

一旦取り出した真っ赤な血液が
遠心分離機にかけられる。
分離された成分(血漿・血小板)は
朝イチの尿のような黄色をしている。
カテーテルを通して
半透明のバッグにおさまった尿…
かと思いきや、
それは誰かの命の糧となり得る
私の血液の一部なのだ。

これをして
【奇跡の小宇宙・人体】
を感じないではいられない。
献血ルームの雑誌もテレビも
私には無用の長物だ。

 

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元々女子校だった出身校には看護科があった。3年間で准看護士、という訳だ。現在、准看護士はいない(新たに誕生はしない)って知ってました?看護科はなくなり、中高一貫校になった母校を偲んでコレ読んでみようかな。読んでどうする、とか言いっこナシで。


さて、若い友人の「恐怖心の元」
は何なのだろう。

針が怖いのだろうか。
尖端恐怖症というやつだろうか。
尖がった上に硬い物体が
自らの柔肌を貫通する様が
想像だに怖いということなのだろうか。

チクッまでの時間?
そもそも痛みが怖いのだろうか。

 

そういう自分はどうだったのだろう。
何故ぶっ倒れていた?

先に述べた「恐怖心の元」予測
それに似た理由だったかもしれない。

自分の身体を今より慈しむがゆえの恐怖
だったように思えてきた。
自らの身体を絶え間なく流れる血液が
取り出される恐怖。
針穴ヒトツさえ
身体に傷がつくことへの恐怖。

痛みに強いか弱いか…
によるところも大きいだろうが
些細な痛みに関しては恐怖心はなかった。

 

 


つづく

はじめての映画 『グーニーズ/The Goonies』(1985年米)

子どもの頃、【東映アニメまつり】意外で

はじめて館で観た映画は

グーニーズ/The Goonies』

(1985年米)と

『サンタクロース/Santa Claus:The Movie』

(1985年英米)だった。

 

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ふたつ?

そう思った方は都会育ちの都会っ子だ。

 

私の住む田舎町近隣では

上映本数の管理上なのか、

人手も足りないしめんどくさくてなのか、   
映画1本の料金で2本立てで、

時には3本立てで映画を観ることが常だった。


それを当たり前に思って育ったため、

1本きりの映画を館で観た時は

それがとても贅沢なことに思えた。

社会人になってからは

毎週何本もの映画を観る‘都会人’になった。

 

お姉ちゃんとお父さんと3人で

『グーニース』を観る!


待ちわびていた記憶に間違いはない。

当日、いざ劇場へ足を運ぶと…

あろうとこか火事で館は焼け落ちていた。

 

お恥ずかしい。

「死傷者はなかったか!?」

などを真っ先に問うところ。 

「えーーー!グーニーズはーーー!?」

幼い私は父に噛みついた。

幸い損傷なく残ったフィルムは、

時間を改め

別の館での上映がかなったのだった。

劇場内はなんと満席。

私たちは立ち見で2本の映画を鑑賞した。

短編ではない。

がっつり長編を2本だ。

子どもとは言え

立っている疲れを忘れるほどに

私は映画に魅了されたのだと思い返す。

 


いかにもアメリカらしいお話だった。

伝説の海賊「片目のウィリー」が残した宝。

オレゴン州の港町に住む少年少女が

探しに出かけるの冒険物語。

主人公マイキーが私と同じ喘息っ子だった

とか、

食べたことないモノいっぱいやなぁ

とか、

子どもだけで危ないことするなぁ!

親は何してんの?

とか、

私の記憶に散りばめられた

忘れ得ぬグーニーズの欠片は今も蘇る。

 

当時は気付かなかったが、

子どもの虐待についても描かれていた。

顔面が歪むほどの虐待を

実の親から受けたスロース。

彼を見て自分に言い聞かせていたのは

一体なぜだったろう?

「スロースを怖いと思ったらだめ。」

「優しい子(身体的には大人)なはず。」

ハラハラドキドキ先行の気持ちに

暗い影を落とす彼の存在。

受け入れがたく感じていたのかもしれない。

グーニーズはたのしくあって欲しい!

と幼い私は我がままに

期待したのかもしれない。


アメリカってそうそうこんな感じ。」

「日本と違ってなんかカッコイイ。」

なんしか色々デカい。故にかどうかスゴイ。

その程度だ、幼い私の知るアメリ感。

 

アメリカすげー!」

決定的に思わせたのは

シンディ・ローパー唄う主題歌

“The Goonies R Good Enough” 

を耳にした瞬間ではなかったかと思う。

シンディの歌唱シーンも劇中に登場し

私は目でも耳でもヤラレた。

「このねーちゃんくるってる。」

畏怖しながら歓喜する自分を感じた。

 

スロースをめぐっては

日本人に馴染みのない方法ながら、

実にハッピーな結末を迎えた。

幼い私は安堵していた。

嬉しいのに涙がでそうで

胸はなんだかドキドキしていた。

 

そしてエンドロールで再びのシンディ。

後の私がみるみるアメリカナイズ

されていく要素として、

確実に初期の爪痕を残した映画だった


あら。

別の映画について書くつもりが

グーニーズ』に取って代わられている。

『サンタクロース』についてはまるで触れてないし。

っていうか、内容を全然覚えてないのだ。

ま、殺人も恋愛のドロドロもイチャイチャもなく

実に平和なお話だったはず。

という希望的かつ予想上の感想を

自信を持って添えて一旦終わることにする。

 

はじめての映画館映画がこの作品で幸せだ。

“Goonies Never Say Die!”

数十年に一度の大雨特別警報 愛媛・高知・岐阜 最大級の厳重警戒

実家のある地方にしかれた

大雨特別警報が解かれぬままだ。

 

自宅の2階での

孤立生活を余儀なくされた知人。
大雨のなか断水で飲み水の入手も

ままならないと言う…。
早々に避難所に行ったばかりに

道路の遮断で身動きが取れなくなった

母の友人。


今、青空の下で

PCに向っている自分がもどかしい。

 

私は阪神・淡路大震災

東日本大震災の揺れの恐怖を

震源地に比較的近い土地で体感した。


その真っただ中にあっては、

生々しい恐怖や先々への不安が

心身ともに充満していた。


家族に無事を報告するも、

目の前の被害に心はずっと捕らわれていた。

今回、実家周辺の情報を

電話やSNSで目の当たりにし、

自分に何か出来ることは?

と気持ちが落ち着かない。


実家の母と喧嘩していても

何事もなかったように電話で話が出来る…

目の当たりにすると、

いかにくだらない喧嘩なのかも

ありありとわかる。

 

この小さな島国の人々が

天災の度にそれぞれに心を痛めている。


飛躍し過ぎかもしれないが、

そんな風に

人を思う気持ちが備わった人間は

戦争なんてせずにいられる

強く賢い生命体であるはずだ。

 

被害に遭われ亡くなった方の

ご冥福をお祈りする…。
これ以上の被害が出ませんよう…。

 

嫁いだ娘の為のお弁当や箱一杯のウェス、

雑巾などを用意して待っている

お母さまのFB投稿を目にした。
道路が遮断されて届けることも出来ない。

どんなに苦しい思いをされているか…。


食事も喉を通らない心持ちに

なったりもするだろうと思う。
でも、ひどい状態が回復し

助けが出せるようになった時に

支援する側は準備万端でいなければ!
きちんと食べて

体力温存しておかなければ!と思う。


今はまだ、身動きが取れないでいる

支援する側の気持ちも道路も

はやく自由に行き交う時の訪れを祈る。

クレヨンしんちゃん 声優交代に思うこと

クレヨンしんちゃん』 

臼井儀人の同名漫画原作のアニメ化作品。

1992年4月13日の放送開始から26年余


「子どもに観せたくないアニメ」

ときに揶揄され


「野原家は見習うべき家族の姿」

ときに称賛され

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今や主人公しんちゃんは

国民的キャラクターであるとも言える。

そんなしんちゃんの声優が

2018年7月6日の放送分から交代した。

 

足掛け27年しんちゃんの声を務めた

矢島晶子さんに代わり小林由美子さん。

声優デビュー当時から

数多くの男声役を務めてきた声優だ。


日本一クセのある喋りの5歳児。

その声優の交代を告げる

ニュースが耳に入ったのは

確か6月のことだった。

 

矢島晶子さんのコメント↓

27年間、春日部の「嵐を呼ぶ5才児」と一緒に過ごして参りましたが、この度、野原家から離れることに致しました。
理由は、しんのすけの声を保ち続ける事が難しくなった為です。キャラクターの声を作る作業に意識が集中し、役としての自然な表現が出来にくくなってしまった為です。

長い間、皆様に親しんで頂き、本当に感謝しております。

しんのすけ」というキャラクターとは離れますが、声の仕事には関わっていきます。また別の機会に他のキャラクターでの私の演技を受け取って頂けましたら幸いです。

27年間、ありがとうございました。


日本国民の5人に1人は

「しんちゃんのモノマネ」

をしたことがあるに違いない。

いや、

人前では照れるけど

家でコッソリやったことがある…だと

3人に1人といって憚らないだろう。

ちなみに我が家と実姉家族

2家族換算では

「3人に2人はモノマネした」となる。

 

7月6日の放送時、

私の足親指と親指の間から出てきた女児が

新生しんちゃんへの

違和感と不快感を露わにしていた。


「しんちゃん2代目声優が我が家から」

と信じさせるだけの声色を

彼女は持っている。


矢島さん降板のニュースを知り

「あ、まだ学業が…」と思った私は

思いの外マジだったことを知った。

リアルタイムの放送を観ながら

彼女は小林さんの台詞を

オウム返しにしていた。

 

「似ている」or「より似ている」

でジャッジをすると

テレビの中より

テレビの前のしんちゃんの方が

より矢島しんちゃんに近かった。

正直、

テレビの前に矢島さんがいるようだった。 


大人の皆さんは記憶にあるだろう。

ドラえもん声優の交代劇を。

 

当然、違和感もあっただろう。

それ以上に寂謬感を得たりもしただろう。

中には怒りさえ…

という人もいるとかいないとか…。

 

「そのうち耳が慣れるって。」

その場の大人代表として

私はテレビの前の矢島さんに

現実を受け入れるようやんわりと告げた。


人間の記憶なんて頼りにならんもんであって、
やがて「最初からこんな声だった」

と錯覚することもあるだろう。

 

10年ぶりに食べた懐かしのラーメン。


「あーこの味!変わってなーい。」

それ、多分ウソ。

変わっていると思う。
変わってないと思いたいだけ。
自分が知っている味が続いていると思いたい欲の主張。


ただ、そのことを誰も責めたりしない。

幸せになるための思い込みなら信じればいい。

誰にも迷惑などかけていない。

 

無理矢理だが、そんな感じ。


声優さんもプロやから

進化に伴い声色も変わる。

実際、

アニメ放送開始当初のしんちゃんの声も

最近まで聞きなれたあの声ではなかった。 

「ごくごく普通の男児

であったと記憶している。


矢島さんが26年余の中で日々

「しんちゃんをしんちゃんたらしめた」

その功績は、その継続性を称えるだけでは

全然足りないのだ。


同時に、

“THEしんちゃん”の声を引き継ぐ

小林さんの重圧を想う。


2017年夏に第二子の男児を出産した彼女。

0歳児を抱えてのオファー承諾だった筈だ。

「嵐を呼ぶ5歳児」より

モヒトツもモフタツも嵐を呼ぶのが乳児

であることを知っている。

応援しないでいられようもない。

 

彼女の勇気に涙で画面が歪んできた…

 

ので次回につづく。


みさえ(しんのすけ母)はまとめ買いしてんのかなぁ。このミニサイズで良くね?ひいてはバレンタイン、近所の子達へ義理にまみれたチョコ配るなら、コレ良くね?

はじめての執事カフェ③ 池袋スワロウテイル

はじめての執事カフェ① 

 

megbea.hatenablog.com

 のつづき


執事カフェに行ってみたい!」

 

ふいに沸き上がった興味(衝動)が

実を結んだことに正直自分でも驚いた。


生活に追われ何だか疲れ、

楽しむことに罪悪感を感じたりする。

そうやっていつものように

この興味もフェイドアウトする…

そう思っていた。


しかし

・連れを探し(衝動から3日目)

・日程を決め(衝動から4日目)

・どの執事カフェかを厳選し予約をする
 (衝動から5日目)


月の3分の1が休館日という

なかなか強気の営業方針である。


我ながら何事ものらりくらりの私としては

驚異的な初動の速さと決断力を呈した。


衝動からたった17日で実現に至れたことは

2018年上半期のトップニュースと言えよう。

 


あ。

紅茶以外の飲み物にも触れておこう。

珈琲はホット/アイスと用意があるそう。

お子ちゃまには

山葡萄などジュースもあるらしい。

カフェと言えば

「足を踏み入れた瞬間の珈琲のイイ香り」

を求めている人には物足りないかもしれない。


なんせ「英国式」

紅茶もイギリスも愛する私には

なかんずく居心地の良い「家」である。


ティーカップもお嬢様の雰囲気に合わせて

執事が選び説明もしてくれる。

茶葉によってもちろんカップも変わる。


今回は2客とも暖色系の花の柄だった。

寒色系が好き、花柄でない方が好ましい、

ということをまだ執事は知らないと見えた。


ティーポットに手を伸ばす私を笑顔で制し

「ワタクシが…」

紅茶をカップに注ぐ執事の所作は美しい。


ホテルラウンジでも給仕は付くが、

お値段は執事カフェの方が

はるかに庶民的である。


嗚呼!

お嬢様として綴りながら

「庶民的」というワードを使う。

ニセお嬢様感を増す様が愉しくて仕方ない。

 

 


会社員時代、席の近かった英国紳士(オジサン)に「これが一番!」とすすめられて以来ひいきにしている茶葉。スモーキーな大人の香り。 まずはストレートでお試しいただきたい。

 

当日、悩んだ末に袖を通したのは

姑から頂いた新品のワンピースだった。

自分では買わないような高価なヤツだ。


都心に出るからには、

ましてや執事カフェに行くからには、

自転車でウロウロしている

普段着のままで良いわけがない。

ナゾの虚栄心が働いた。


「スニーカーじゃさすがにな」


20年前に買ったサンダルを引っ張り出した。

10年以上ぶりに履いて歩き出すこと5分。

右足のヒモの一部がちぎれた。

なんか縁起悪い。

サンダルが進むのを拒んでいるのか?

と思わなくもなかった。

いや、ただ古びれただけのことだ。

幸い、靴底と足裏とに挟み込み難を逃れた。

これを思い出として載せておこう。

 

 

 


あ。

「次回までの宿題でございます。」

とにこやかに手渡されたカード。

これがあった。

予約時の「呼び方」を選ぶ際に

知ったことには

意外にも執事カフェ

男子禁制ではなかった。

 

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「優しくされたい気分」

「イケメンに会いたい気分」


そんな女性だけのための場所ではないのだ。

 


ファッションについて

男性より女性に品定めされることに

一層の緊張を覚える私。

皆さんはどうであろう?


執事の中にも

「ご主人様」や「お坊ちゃま」

同性に給仕するほうが身が引き締まる…

そんな風に感じる者が

いるのかもしれない…などと思う。

 

 


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秋葉原メイドカフェに行った話を

配偶者に聞いて湧いた

執事カフェへの興味。

 

正直なところ、

当初は、ほぼほぼ“冷やかし”であった。

ちょっと小馬鹿にさえしていた。

 足を踏み入れる前までは

まだ冷やかし気分があったことも否めない。


いざ。


執事カフェの給仕スタイル。

私には不慣れであるし

かけられる言葉は台詞でしかない茶番だ。

茶番を「完璧に演じ合う」ことは

私には難しかった。

 


けれども、

飽く迄お客(ご主人様)の
心地好い時間を演じる彼らの

「お芝居」を愉しめるのであれば、

 私は執事カフェ

想定外の☆を付けたい。

 

 

大好きな紅茶葉が豊富に取り揃えてあって

お値段もリーズナブル。

執事をはじめ職員の所作・言葉使いは美しく

決して嫌な気分になることはない。

そして、プチ贅沢気分を味わえる。


入れ替わるお客の半数ほどが

「おひとり様」であったことを

はじめは意外に思っていた。

けれど、

その雰囲気を知った今となっては

ひとり優雅に紅茶を愉しむ時間が欲しい時

執事の元に帰るもの悪くない。

そんな気持ちになるのに不思議はない。

 

執事カフェは大人のための憩いの場だった。

 

池袋 執事カフェ スワロウテイル

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完全予約制

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