映画『ボヘミアン・ラプソディ』ゴールデングローブ賞 受賞おめでとう オスカー受賞なるか!?
2019年の年明け早々
映画『ボヘミアン・ラプソディ』が
ゴールデン・ グローブ賞「作品賞」の栄冠に輝いた。
このGG賞を皮切りにして1ヶ月余り。
フレディ・マーキュリーを演じた
ラミ・マレックには
既に5つの主演男優賞※がおくられている。
サテライト賞
(英国アカデミー賞は音響賞も受賞)
あまたあるいわゆる映画賞。
これまで数百本の映画を観てきて
私は常々思っていた。
「受賞を喜ぶべきは
製作サイド・演者ばかりである」と。
観客である私は
「へーそうーなんやー。」
ないし
「おぅ!おめでとうございます。」
程度の関心しか寄せていなかった。
『ボヘミアン・ラプソディ』における
「受賞」
なんだなんだ?このワクワク感。
いつになく嬉しい気持ちになった。
鑑賞後もワクワクさせるたぁ
これが真のエンターテインメントか!?
思ったり思わなかったり。
っていうか、映画賞って
思った以上にぎょうさんあるねんな。
オスカー (アカデミー賞) 受賞の期待が高まる中
今一度『ボヘミアン・ラプソディ』の魅力を
クドく語ってみたいと思う。
日本での興行収入が100億円突破という
予想外のヒット作となっ た今作。
製作サイドの
商業ベースによるものだけではない
映画創りを見たよ うに私は思う。
彼らのQUEENへの深い理解と
何より愛情が垣間見えたからだ。
フレディのレガシーを引き継ぎ
QUEENとしての活動を続ける
その描かれ方は実に
「チャーミングな男」であった。
品行方正ばかりとはいかない彼の私生活を
センセーショナルに描くことに
ブライアンとロジャーは価値を見 出さない。
2人は音楽を共有したバンド
QUEENのメンバーであり、
誇り高きQUEENの楽曲の素晴らしさ!
無邪気で憎めない魅力的な天才が存在した
とい うことに尽きるのだろう。
QUEENをよく知らない
人々・ 若い世代にまで広く深く
愛される作品となった今作。
QUEENの楽曲ありきなのだ。
バンドと対立するレーベルEMIのお偉いさん。
(ボヘミアン・ ラプソディを酷評するワカラズヤ!)
現実ではQUEENの大ファンである
マイク・ マイヤーズを
役に据えていたことも憎い演出だ。
(クレジットを見るまで気付かなかった!)
10代の頃
TSUTAYAでバイトをしていた私は
彼の主演作『 ウェインズ・ワールド』を借りる。
その衝撃!
その後、
鳥肌が立ちっぱなし だった。
QUEENの楽曲を耳にする機会はあったものの 、
『ウェインズ・ワールド』 が
私のQUEEN初体験ではなかったか
と振り返ったりもした。
に懐古を巡らせられるのは
中年・ 初老世代の醍醐味・特権だな…。
今作品への熱い想いは
エンドロールが上がり切るまで続いた。
"Don't stop me now " と共に
軽快にエンドロールが流れる。
ライブ・エイド・ シーンの興奮が
心地好い余韻としてのまま温められる。
フレディの死の知らせと彼の映像に
少しばかり 切なくなりながらも…。
そして曲が
"Show must go on" に切り替わった瞬間
また鳥肌が立つ。
「 ショーはまだ終わらない…。」
Show must go on
フレディがこの世を去る数ヵ月前に
レコーディングされたとさ れるこの曲。
ブライアンがそのデモテープを
フレディに聴かせた際、
案じるほどの病状であったと も言われている。
気遣うブライアンに
フレディはこう返したという。
“I'll fucking do it, darling. ”
(僕はこの曲に全てを捧げるよ、ダーリン。)
このように(やわらかく)訳されている。
映画の中で、
メンバーに病を告白するシーンでは自らを
Freddie fucking Mercury と称したフレディ。
計り知れぬ恐怖と葛藤に打ち勝ち、
この曲名
The Show Must Go On
実はことわざ(SAYING)として使われている。
の運びにまつわって…である。
Cambridge Dictionaryの記載を引用
the show must go on
SAYING
said to encourage someone to continue with what they are doing, even they are experiencing difficulties
(Show・劇中) いかなるトラブルに見舞われようと
はじめたことを最後までやり通 すほかない(と激励する)
訳すとそんなところだろうか。
The Show Must Go On
“I'll fucking do it, darling. ”
底知れぬ決意を滲ませ、
ブライアンに宣言する姿を思い浮かべ た。
言葉を紡ぎながら
フレディは己を鼓舞し、
彼の純真を想う。
涙を拭うハンカチを もうひと濡らしさせた。
ここでヒトツ、
製作サイドに唯一の苦言を呈するとしたら…
「 歌詞・対訳を出さんかーい!」
1991年11月24日にフレディは亡くなる。
その約半年後の1992年4月20日
ウェンブリー・スタジアムで行われた追悼コンサート
ジョージ・ マイケルをフロントマンに据え、
メンバー3人の演奏で
『 愛に全てを/Somebody to Love 』が披露された。
群を抜いたパフォーマンスであ ったことは間違いない。
それでも、演奏をする3人の、
私は胸を突かれた…。
QUEEN+ポール・ロジャース
申し分ない歌唱力のヴォーカリストとの活動
それはあくまで【 QUEEN puls】なのだ。
フレディへの敬意と 愛情があらわれている
と言えないだろうか。
ポール・ロジャース、
パワフルな声量と確かな歌唱力。
けれど、正直に言うと
「2回目は聴かなくていいかな…」
と私は思った。
「やっぱり フレディでないと…。」
たちまちセンチメンタルな気持ちに浸ってしまう。
一度彼の歌声に魅了された者の心に
宿ってしまうように思 った。
フレディでないと…。
ただひとり、
ブライアンも惚れ込んだレディ・ ガガ。
彼女との “plus” 活動は見てみたい気もする。
聴衆に語り掛ける力を持っている …
そんな期待があるのだ。
1997年
残された3人での発表となった
「ノーワン・バット・ユー」
( No-One but You (Only the Good Die Young ))
ジョンは
「フレディ以外のヴォーカリストは考えられない」
このことを
と感じるファンもいるだろ う。
その一方で、
ブライアンとロジャーを
批判す る声もあったのだという。
けれど、賛否両論ある中
言えるのではないかと 私は思う。
そういう意味でも、この映画が
「史実通りに描かれていない」ということが
如何に大した問題ではないということを
私は感じて止まない。
「そういう物語」として映画を盛り立てたのは、
やはりQUEENの楽曲の素晴らしさあってのことだ。
製作サイドの様々な構成力は言うまでもなく、
選曲の妙にしてやられた。
フレディ・ マーキュリーの
生き様を感じずにはいられない。
新しい世代に愛し続けられるのだろう。
まさに The Show Must Go On
「QUEENは終わらない。」
QUEENは、
フレディ・マーキュリーは、伝説である…
ロングラン上映中! 映画『ボヘミアン・ラプソディ』に感動する人・しない人
異例のロングラン上映。
『ボヘミアン・ラプソディ』を
私はなぜ繰り返し観るのか。
感動した…から。
どういうところに?
で、それはなぜ?
ここに来て、「感動しなかった」
という映画評に考えさせられた。
さてさて。
まずは私が感動した要因とおぼしき
【キーワード】を列挙しよう。
・バンドというもの
・家族の存在
・アイデンティティの模索
・自分の使命について
・閉塞感との戦い
・奇跡的な出会い
以上
これらはひとまず置いといて(←え?)
紐解いていくことにしよう。
QUEENの楽曲の素晴らしさは
演奏力の高さや
フレディの圧倒的 な歌唱力
だけによるものではない。
鳥肌のたつような
美しいコーラス・ ワークが
特筆される彼らの魅力のひとつだ。
しかもメンバー4人全員が曲作りをする
稀有なバンドだとも言え る。
映画に描かれていたようにサクサクッと
バンド結成に至ったのでは ないかもしれない。
ただ、 どんなバンドの結成も
奇跡的な巡り合わせがある…
ということは間違 いない。
QUEENも然りだ。
学生時代のバンド活動で
私が演者だった頃のこと。
ライブとはなんとも不思議な
ある種異様な光景だと感じていた。
演者が聴衆と対峙しているという光景だ。
私はスポーツが苦手である。
球技の殆どを恐れている。
テニス、バレーボール
ましてやドッチボールなんて
格闘技級に関りを拒みたい恐ろ しさだ。
逃げ場がないやん!
(そもそも逃げようとすることが不謹慎)
そのほかの球技で言うと
コートが広かったり
終始対面式なのではなかったり
逃げ場がある。
( だから逃げんなよ)
話をバンドに戻す。
裏にスタッフは控えているとはいえ
ステージ上の数名を遥かに超える人数の
聴衆と面と向かっている光 景、怖い。
人は面と向かっていると
抱き合うこともできるが
殴り合うこともで きる。
提供した音が気に入られなければ
そっぽを向かれる。
気に入られれば
やがてステージ上と客席の人々が
円陣を組んだよう な一体感を生む。
ただ耳で音を捉え目で熱狂を確認し
熱された空気を肌で感じるだけでは
得られない一体感。
目に見えるものでもあり
目に見えないものでもある。
ことの最中には気づかず
後々になって
その一体感を思い出と共に匂いが蘇るのは
きっと私だけではな いと思う。
ちょっと質問させて欲しい。
「自分の使命を知っている」
と言い切れる人、手ぇ挙げて。
或いは
「使命とは?を考えたことがある」
という人も手ぇ挙げて。
挙手した方の中でこの映画を観た方々、
「感動した」か「感動しなかった」かを
思い出しておいて欲しい。
因みに私は
「絶賛、己の使命模索中」の身である。
【注・ネタバレ箇所】
I decide who I am.
I'm going to be what I was born to be.
A performer…
who gives the people what they want.
【ネタバレ箇所おわり】
自分の使命を知っていた。
正確には「見つけた」と言うべきだろう。
それがいつのことか
具には描かれていなかったが、
ウェンブリーの大舞台を前に
メンバーに打ち明けるシーンに
私は息 を飲んだ。
己の使命を知らない私は
ひどく心を揺さぶられた。
祖国を追われ
家族と英国に渡り暮らす年月。
貧困。
人種差別。
日本に生まれ育った私には解り得ないまでも
その閉塞感は想像に難くない。
父親との確執の様は
母を想う我が身に置き換え
息苦しくも感じられた。
アイデンティティを模索しながら
葛藤し寂寥感に押しつぶされそう になる。
けれど如何なる心情・状況にあっても
音楽と共にある純真。
音楽に心情を吐露し想いを託す。
そして、 彼の音楽は
フレディの全てを
受け止めているように思えた。
「両想いだなぁ。」
純粋に羨ましく思った。
多くの好評レビューの中には
当然アンチ評も見られた。
と指摘するものが多く意外に感じた。
逐一違(たが) わず史実に則っていないと
許せない理由があるということだろうか 。
しばし考える。
僭越ながら
QUEENに魅了された後輩として
思い巡らせる時間を割こうではな いか。
メンバー4人全員が
ソング・ ライティングすることを
映画を観て知ったほど
"うっすらファン" だった私だ。
QUEENの熱烈かつ真摯なファンである。
事実を重視したいとする
真性ファンである彼らのの評価には、
批判をはるかに凌駕する
愛のボリュームがあった。
QUEENへの並々ならぬ愛情を感じた。
これはアレだ、
「脳内にインプットされた史実」が
映画を観て拒否反応を示した…
みたいな「現象」なのかもしれない。
絶対音感を持つ友人が言っていた。
♪ドレミ~ と口にしながら
ミファソの音階で唄うのを聴くと
条件反射で鳥肌が立つ、と。
そんな感じだな、多分。
考えたんじゃなくて感じた…
その結果なのでは?
というところに着地した。
文字にするとあっという間の結論だが
来る日も来る日も考えた
昨日までの時間が幻のようだ…。
何かに触れてどう感じるかは人それぞれ
何を書いても自由と思っている。
けれど、中にはただただ
「感動できなかった」 ばかりの
説明不十分なものあった。
概して「自称QUEENファン」の面々だ。
あまつさえ
「作りものだから感動できなかった」
には正直、 残念無念を感じる。
かつて “鶴の一声100万円”
彼の言葉を思い出した。
「この映画を観て
泣かない人は人間じゃない!」
若い頃の私なら
ペラッペラのアンチ評を
血の気多くぶった切ったか もしれない。
「首洗って出直してこい」
「おとといきやがれ」
「ほな、ライブ映像でも観とけや。」
吐き捨てていたかもしれない。
(いや、内心ちょっと吐きました。)
そんな「説明不足の表現お粗末組」 を
片腹痛しと一蹴していた。
しかし、2度3度4度と鑑賞し
心を揺さぶられる自分を知る度に
お粗末組を気の毒だとも思うようになる。
「なぜ私は感動したのか」同様に
「 なぜ彼らは感動できなかったのか」
を考えるに至った。
伝説となったフレディ・マーキュリー
私はその偉大な人物に
おこがましくも自分の姿を投影した。
この映画に
心動かされることがなかったという人々は、
フレディの自分探しの旅を
捉える必要がなかったのかもしれない。
それは彼らが現状の自分に満足し
既に自分を愛せているから。
彼らは自分の使命を知っているから。
だとしたら
それはそれで美しく素晴らしいことだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
“うっすらファン” である
私の素直な気持ちを
真性ファンにそっと伝えておこうと思う 。
4人が奇跡的に出会い、
青い時代を経て輝かしい黄金時代を築いた。
「家族」のようになった4人。
「家族」となったからこそ
すれ違う時代を迎える。
フレディの葛藤と覚醒を経て
「家族」が再び動き出す。
『輝ける日々』を取り戻し始める。
史実ではウェンブリー以前
直近にもQUEENのライブ活動はあった。
(そうだ)
とは言え
ライブ・ エイドでのパフォーマンスが
蓄積されていた
重苦しいメンバー間の空気を一新した。
その事実が伝わるだけで
十分ではないかと思うのだ。
85年のウェンブリー・スタジアムで
QUEENは「 息を吹き返した」。
「ウェンブリー(スタジアム)に
屋根がないなら空に穴をあけてやる!」
ライブ・エイドの熱狂の中
ウェンブリー上空に
確かにあいたであろう穴を
ジョンが微笑みなが ら見上げる。
それは生まれ変わったQUEENの
未来に続く突破口だ。
QUEENの存在だけでは
もはや当人たちにとっても
ファンにとっ ても意味をなさない。
再び躍動し始めたその瞬間に
劇場の観客は激しく心を動かされる。
そして
ウェンブリー・ スタジアムの観客と
QUEENの鼓動を共有したのだ。
激しく余談だが
ジョン・ディーコンを演じる
私が初めて見た彼の映画は
『マイ・フレンド・フォーエバー』
奇しくもジョセフは
幼くしてHIVに感染した少年を演じていた 。
「あれぇ、大きなったなぁ!」
近所のおばちゃん風に呟くのを
禁じえなかった。
もとい。
ウェンブリーでQUEENが息を吹き返す。
ウェンブリーでQUEENが息を吹き返す。
フレディを見守ってきた人々(≒家族)の
笑顔がスクリーンいっぱいに映し出される。
ステージの4人と聴衆が一体となる。
清々しいまでのハッピーエンドに
私は心洗われ安堵し涙した。
既に切って落とされた
フレディの病との戦いの幕。
そのことを
一瞬だけ忘れられた刹那でもあった。
己の弱さと闘うことをやめなかった
フレディの勝利に涙する。
史実なんて関係ないとする
薄っぺらファンだからこその感動
だったのかもしれない。
伝説であることには変わりない。
私はそれで充分。
お腹いっぱいだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これを書き始めた頃
「ボ・ラプ28回目を鑑賞」
今や33回に!
(ざっと計算して
2~3日毎の鑑賞ですよ、奥さん!)
私の初回鑑賞から8週間…
受賞おめでとう!(仮)】
の回に続く…予定)
映画『ボヘミアン・ラプソディ』/フレディに恋をした
今年観た映画は35本ほど。
若かりし頃に比べると随分と少ない。
ま、少ないなりにトップ3を考えた。
『ボヘミアン・ ラプソディ』が
ラン、ク イーン!
2018年11月9日の公開日から
2週間目に劇場に足を運んだ。
その日は休日ということもあり満席。
客層は実に様々で年齢層も幅広く、
そのことが、鑑賞前から
私の胸を熱くしていた。
映画の感想等については
また別の機会に…として、
QUEENファンは言うまでもなく
すべての音楽(ROCK)ファンに
観て欲しいと思った。
観客の年齢層がさまざまであるように、
感じ入る場面もひとそれぞれ。
心揺をさぶられる
拾いどころがちりばめられていた。
「ラスト21分」
に象徴されるライブシーン。
スクリーン前、
各々のオーディエンスが
時空を超えてひとつになった。
よくよく考えてみ…るまでもなく、
ポップコーンの列に並んだ次点でも
観客は重々 承知している。
「出演者は物語の本人たちではない」
あのパフォーマンスの盛り上がりが、
鼻のズビズビ音をも
盛り上げてしまうの は何故?
エンドロールが上がり照明が灯り、
拍手が上がったのは何故?
これはこの映画を観た人の宿題…
冷めやらぬ興奮を携え、
そんな風に考えながら電車に揺られた。
公開から約7週が経過し、
私は3度鑑賞してなお
4回目鑑賞を視野に入れている。
インスタをフォローしているある方は
8週目にしてなんと
20回鑑賞しているそうな。
週2‐3回ペースですよ、奥さん。
そして、鑑賞して以来、
QUEENへの関心。
楽曲の素晴らしさを
再認識したことは言うまでもない 。
動画などで初めて目にした
「 若かりし頃の姿」
「フレディ全身タイツ期」 よりもっと前。
真っ白な衣装を着こなす
か細い肢体。
胸毛の目くらましで気付かなかった
美しい肢体。
シア・ハート・アタック
(1974年アルバム_ Sheer Heart Attack)
さながら、彼らは射貫く、私のくハート。
体言止めがやまない。
また、
男性・女性それぞれの音楽評論家の
QUEEN(フレディ)評の違いも興味深い。
唯一無二のライブ・パフォーマー、
デビュー当時及びそれ以降の
彼のルックスの語られ方には
様々あったようだ。
ストレートに褒めはしない。
「 カッコよくない奴が
カッコつけてるのがイイ!」
そんな、
する人が多いと感じた。
(平たく、負け惜しみとも言う)
ルックスを好評価する 。
70年代
まだ来日を果たしていない頃の
QUEENのステージ。
当時ミュージックライフ誌編集長
東郷かおる子さんが受けた
衝撃と興奮に共感しまくる。
優れた音楽性は大前提。
そしてきらびやかなステージ。
「めっけもん」だったに違いない。
「女性に受けないはずはないと思った。」
東郷さんは言い切る。
男性には感じとる必要のない魅力
だ ったのかもしれない。
男性目線と女性目線の違いは歴然だ。
東郷さんの予想通り、
日本の女性ファンを魅了した。
私の「女子目線」から見た
70年代のQUEEN。
清潔感云々だけではない魅力が満載だ。
フレディ、
鋭い眼光は時にとても甘く
憂い をたたえる…。
真っ白なサテンのスーツ(ツナギ)
メロメロですよ。
でもってピアノまで
弾いちゃったりしてよぉー。
やたら姿勢が良いのもなんか萌え~。
男性陣、僻んでた?
(認めてまえ!)
「音楽が好きで内向的なアラブの青年」
(両親がペルシャ出身による?)
デビュー前のフレディを
そう表現した人がいたそうだ。
ほど遠い形容のされ様。
それも今となっては 頷ける。
ストーカーさながら、
目を皿にしてデビュー前後の画像を探した。
共にバンド活動をしていた友人の影響で
QUEENを聴いていた学生時代。
中でも気に入っ てよく口ずさむ
【KILLER QUEEN】(1974年シングル)
唄いながらついつい
ひげダンスを踊ってしまう。
“Don't think, feel !” を
知らないうちに体現してしまうほど、
「ヒゲのおいさん」であった。
あの立派なガタイのヒゲのおいさんに
かような美しい青年期があったとは…。
「恋しちゃった。」
永遠の心の恋人決定で私の人生安泰である。
今の自分の年齢で20代のフレディに
「恋しちゃう」ことも、
「恋しちゃう」ことも、
「おいおい、待て待て。」
一家言申し立てたいことではある。
(そもそも… は置いてといてもらおうか!)
しかし私は知ってしまった、
その想いは
【Don't stop me now 】(1978年シングル)
もっと言うと
【I was born to love you】
(1985年ソロ活動シングル)である。
ばかりではないのが我ながら恐ろし い。
誰が傷付くでもない。
良しとしよう。
Freddie, we all love you.
ノースリーブが着られない 半袖厳禁?就職活動
今世で二度としたくないことがある。
就職活動
汗ばむ季節に
わざわざスーツを着て行う就職活動。
昨今の就職活動は
私の時代のやり方とは随分異なるらしい。
履歴書を手書きで郵送…
なんてことはほぼほぼないと言う。
取って代わるのはやはりネット。
エントリーシートを提出(送信)、
これが最初のご挨拶というわけだ。
茶封筒を抱え
ドキをムネムネさせつつ郵便局へ行く、やら
面接での
「お、顔に似合わずきれいな字だね(笑)」
なんて無駄話やらも生まれまい。
昭和生まれにはちょっと寂しい現実だ。
しかし、
いわゆるリクルートスーツに
明らかな変化は見受けられない。
「上着で隠れるのだから中のシャツは
半袖でイイと思わないように。」
「上着の袖口からシャツが見えるかどうか
面接官には見られてますよ。」
大学の就職説明会で指導官から
公明正大に述べられたのだった。
何のための長袖ワザワザ?
え、伝統!?
は?
理由の付かないことの全部を
「伝統」で括ってくれるでない。
そんな長袖、単なる我慢…
ひいては嫌がらせではないか。
「我慢が美徳の日本人」
そんな伝統は
もはや時代錯誤ではないだろうか。
と、我慢が好きな私が言ってみたりする。
自戒の念を込めてみたりする。
こっそり己を鼓舞してみたりする。
上着も上着で、
猛暑の中、太陽光の吸収し易さを
選りすぐったような色味。
見かけると
「明けない夜はありませんよ。」
心の中で彼・彼女らに声を掛ける。
ついでに言うと、幼子を連れ
ヨレヨレになっている親御さんにも
「明けな…(以下同文)。
半袖って素晴らしい。
腕が外気に触れるか触れないかで
こうも体感温度が変わってくるか!
と毎年感動する。
ノースリーブともなると更に肌の露出が増え
もっと素晴らしい涼しさなのだが私は着ない。
少なくとも外出の際は着ない。
何故か。
だって、恥ずかしい。
何故恥ずかしいのか。
だってだって腕が太いから!
体重を落としても
「肩から脚」
の様相が頑なに維持されるのは何故だろう。
ヨガ・ピラティス、フラダンス…
ちょっと習ってみたいなぁ
心身ともに絶好調な時の私は思ったりする。
しかし、それらの服装・衣装を鑑みて
結局は断念するのだった。
牛乳を飲んだコップでそのまま
白濁した麦茶を美味しく頂ける私だ。
そんな風に大雑把な私でも
脇の手入れはまぁまぁしている。
(まぁまぁかよ)
見せて見られて互いに頬を染める…
そんなことにはしていないつもりだ。
でも、恥ずかしい。
見せたくない。
見られたくない。
私の脇。
言わずもがなの水着
中3の夏を最後に身に着けていない。
聖子ちゃんが語り部となる
♪水着持ってない~ のアノ女子。
彼女にはきっと続きがある。
「でも、あなたのためにこれから買うの」
的な何かが。
そんな【ひと夏の脱皮感】
私にはこれまでも
きっとこれからもないだろう。
「脇出し恐怖症」を克服したい自分と、
脇・二の腕を露出を避けることを
恥じらいとして保ちたい私とがいる。
好きにすりゃーイイ、と私の中の私が言う。
まずは二の腕の揺れるフルフルを
どうにか引き締めてのち改めようか。
そうこうしているうちに
またひとつ私の夏は終わっていく。
つづく(かもしれない)
採血で卒倒する人しない人
20代の若い友人が言う。
「注射が怖いんです。
採血なんてもっと怖くて…。」
明朗快活を絵に描いたような
ハツラツとした彼女の意外な一面
というヤツだ。
「かわいいとこあるやん。」
とギャップ萌え。
実際、顔もかわいいところがズルいと
私は僻んでしまう。
注射針を前に渦巻く彼女の恐怖感に、
看護師達は
「こいつぶっ倒れるぞ」
と言わんばかりに目くばせすると言う。
「横になる場所を確保だ!」と。
(しかし倒れたことはないらしい。)
若かりし頃の私は
採血の度にぶっ倒れていた。
細い血管を太らせるため、
私の腕にゴムバンドを
キツく巻いている看護師に向って私は言う。
「すいません。
暫く私に話しかけててもらえますか?」
恐怖心を悟られまいと
へっちゃら顔でナゾのお願いをしていた。
気を紛らわせたかった。
採血し得る血管はなかなか出てこんわ、
みょうちきりんな申し出はあるわ、
看護師の困惑が毎回伝わってきた。
ぎこちないトークの末
採血は無事に終わった…と見せかけて
ぶっ倒れる。
迷惑至極。
トーク、意味なし。
気、紛れてない。
そんなことなら
予告しておいた方が看護師のためだ。
時空を超えて、衷心より陳謝いたす。
いつからだろう。
採血される様をガン見
するようになったのは。
献血中も同様だ。
成分献血の回は特に目が離せない。
一旦取り出した真っ赤な血液が
遠心分離機にかけられる。
分離された成分(血漿・血小板)は
朝イチの尿のような黄色をしている。
カテーテルを通して
半透明のバッグにおさまった尿…
かと思いきや、
それは誰かの命の糧となり得る
私の血液の一部なのだ。
これをして
【奇跡の小宇宙・人体】
を感じないではいられない。
献血ルームの雑誌もテレビも
私には無用の長物だ。
元々女子校だった出身校には看護科があった。3年間で准看護士、という訳だ。現在、准看護士はいない(新たに誕生はしない)って知ってました?看護科はなくなり、中高一貫校になった母校を偲んでコレ読んでみようかな。読んでどうする、とか言いっこナシで。 |