しののめ日記

汐見 彩 のブログ

映画『ボヘミアン・ラプソディ』ゴールデングローブ賞 受賞おめでとう オスカー受賞なるか!?

2019年の年明け早々
ゴールデン・グローブ賞「作品賞」の栄冠に輝いた。
 
ラミ・マレックは「主演男優賞」を受賞。
 
 
 
このGG賞を皮切りにして1ヶ月余り。
既に5つの主演男優賞※がおくられている。
 
 サテライト賞
 (英国アカデミー賞は音響賞も受賞)  
 
 
 あまたあるいわゆる映画賞。
これまで数百本の映画を観てきて
私は常々思っていた。
「受賞を喜ぶべきは
    製作サイド・演者ばかりである」と。
 
観客である私は
「へーそうーなんやー。」
ないし
「おぅ!おめでとうございます。」
程度の関心しか寄せていなかった。
 
「受賞」
なんだなんだ?このワクワク感。
いつになく嬉しい気持ちになった。
 
鑑賞後もワクワクさせるたぁ
これが真のエンターテインメントか!?
思ったり思わなかったり。
 
っていうか、映画賞って
思った以上にぎょうさんあるねんな。
 
 
オスカー (アカデミー賞) 受賞の期待が高まる中
今一度『ボヘミアン・ラプソディ』の魅力を
クドく語ってみたいと思う。
 
 
 
 
日本での興行収入が100億円突破という
予想外のヒット作となった今作。
製作サイドの
商業ベースによるものだけではない
映画創りを見たように私は思う。
 
彼らのQUEENへの深い理解と
何より愛情が垣間見えたからだ。
 
フレディのレガシーを引き継ぎ
QUEENとしての活動を続ける
ブライアンとロジャー。
彼らが製作に関わった功績も忘れてはならない。
 
その描かれ方は実に
「チャーミングな男」であった。
 
おそらく、
品行方正ばかりとはいかない彼の私生活を
センセーショナルに描くことに
ブライアンとロジャーは価値を見出さない。
 
2人は音楽を共有したバンド
QUEENのメンバーであり、
またフレディの「家族」でもある。
 
世界に伝えたいことは
誇り高きQUEENの楽曲の素晴らしさ!
そしてフレディ・マーキュリーという
無邪気で憎めない魅力的な天才が存在した
ということに尽きるのだろう。
 
QUEENをよく知らない
人々・若い世代にまで広く深く
愛される作品となった今作。
それは、とてつもなく素晴らしい
QUEENの楽曲ありきなのだ。
 
 
バンドと対立するレーベルEMIのお偉いさん。
(ボヘミアンラプソディを酷評するワカラズヤ!) 
現実ではQUEENの大ファンである
マイク・マイヤーズを
役に据えていたことも憎い演出だ。
(クレジットを見るまで気付かなかった!)
 
10代の頃
TSUTAYAでバイトをしていた私は
彼の主演作『ウェインズ・ワールド』を借りる。
作中に流れる「ボヘミアン・ラプソディ
その衝撃!
 
その後、
QUEENファンの友人に借りて聴いたCD。
鳥肌が立ちっぱなしだった。
 
それまで折に触れ
QUEENの楽曲を耳にする機会はあったものの
『ウェインズ・ワールド』
私のQUEEN初体験ではなかったか
と振り返ったりもした。
 
10年単位で「QUEENと私」
に懐古を巡らせられるのは
中年・初老世代の醍醐味・特権だな…。
 
 
今作品への熱い想いは
エンドロールが上がり切るまで続いた。 
 
"Don't stop me now " と共に
軽快にエンドロールが流れる。
 
ライブ・エイドシーンの興奮が
心地好い余韻としてのまま温められる。
 
わかっているはずの
フレディの死の知らせと彼の映像に
少しばかり切なくなりながらも…。
 
そして曲が
"Show must go on" に切り替わった瞬間
また鳥肌が立つ。
 
ショーはまだ終わらない…。」
     Show must go on
 
 
フレディがこの世を去る数ヵ月前に
レコーディングされたとされるこの曲。
 
ブライアンがそのデモテープを
フレディに聴かせた際、
この高音域を彼が唄い切れるものかと
案じるほどの病状であったとも言われている。
 
気遣うブライアンに
フレディはこう返したという。  
 
“I'll fucking do it, darling. ” 
(僕はこの曲に全てを捧げるよ、ダーリン。)
 
Wikipediaでは
このように(やわらかく)訳されている。
 
映画の中で、
メンバーに病を告白するシーンでは自らを
Freddie fucking Mercury と称したフレディ。
 
彼はおどけて見せながら
計り知れぬ恐怖と葛藤に打ち勝ち、
希望をまとった姿をみせつけた。
 
この曲名 
The Show Must Go On
実はことわざ(SAYING)として使われている。
起源はshow(劇)
の運びにまつわって…である。
 
 
Cambridge Dictionaryの記載を引用
the show must go on
SAYING
said to encourage someone to continue with what they are doing, even they are experiencing difficulties

(Show・劇中)いかなるトラブルに見舞われようと
はじめたことを最後までやり通すほかない(と激励する)
 
訳すとそんなところだろうか。
 
 
 
The Show Must Go On   

“I'll fucking do it, darling. ” 
底知れぬ決意を滲ませ、
彼がこの曲との対峙の熱意を
ブライアンに宣言する姿を思い浮かべた。
 
言葉を紡ぎながら
フレディは己を鼓舞し、
文字通り全てを捧げて挑んだのだろう。
 
いつなんどきも音楽とともにあった
彼の純真を想う。
 
これが泣かいでいられるか!
 
ブライアンとの逸話を知った以降の鑑賞は
涙を拭うハンカチをもうひと濡らしさせた。
 
ここでヒトツ、
 製作サイドに唯一の苦言を呈するとしたら…
 
  「歌詞・対訳を出さんかーい!」
 

もとい
多くの歌い手がこの曲を唄いつないでいる。
けれど、
フレディの声からしか感じられない熾烈さは
私の中で未来永劫変わることはないだろう。
 
 
 
1991年11月24日にフレディは亡くなる。
その約半年後の1992年4月20日
ウェンブリー・スタジアムで行われた追悼コンサート
 
ジョージ・マイケルをフロントマンに据え、
メンバー3人の演奏で
愛に全てを/Somebody to Love 』が披露された。
 
そうそうたる参加アーティストの中でも
群を抜いたパフォーマンスであったことは間違いない。
それでも、演奏をする3人の、
とりわけジョンの滲み出る哀愁に
私は胸を突かれた…。
 
 
 
QUEEN+ポール・ロジャース
 
申し分ない歌唱力のヴォーカリストとの活動
それはあくまで【QUEEN puls】なのだ。
 
ブライアンとロジャーのQUEENへの誇りと
フレディへの敬意と愛情があらわれている
と言えないだろうか。 
 
ポール・ロジャース、
パワフルな声量と確かな歌唱力。
 
けれど、正直に言うと
「2回目は聴かなくていいかな…」
と私は思った。
 
「やっぱりフレディでないと…。」
たちまちセンチメンタルな気持ちに浸ってしまう。
 
歌の上手さだけでは動かせない何か…
フレディの生き様をもってしてしか動かせない何か…。
そんなものが
一度彼の歌声に魅了された者の心に
宿ってしまうように思った。
 
フレディでないと…。
 
ただひとり、
ブライアンも惚れ込んだレディ・ガガ。
彼女との “plus” 活動は見てみたい気もする。
彼女の生き様はフレディを通じて
聴衆に語り掛ける力を持っている
そんな期待があるのだ。
 
 
1997年
残された3人での発表となった
「ノーワン・バット・ユー」
( No-One but You (Only the Good Die Young )) 
 
ジョンは
「フレディ以外のヴォーカリストは考えられない」
として、この曲を最後に事実上の引退をした。
 
このことを
QUEEN愛に溢れ潔く喜ばしい決断だ
と感じるファンもいるだろう。
その一方で、
QUEENとしての活動を継続する
ブライアンとロジャーを
批判する声もあったのだという。
 
けれど、賛否両論ある中
QUEENの金字塔を守り続けた2人の誇りこそが、
今回の映画製作を実現し大ヒットへ誘ったと
言えるのではないかと私は思う。
 
そういう意味でも、この映画が
「史実通りに描かれていない」ということが
如何に大した問題ではないということを
私は感じて止まない。
 
「そういう物語」として映画を盛り立てたのは、
やはりQUEENの楽曲の素晴らしさあってのことだ。
 
 
製作サイドの様々な構成力は言うまでもなく、
選曲の妙にしてやられた。
無論、絶妙な選曲を可能にする偉業、
フレディ・マーキュリーの
生き様を感じずにはいられない。
 
劇場に居合わせた若い世代、
きっと彼らにQUEENは愛し継がれた。
新しい世代に愛し続けられるのだろう。
 
まさに The Show Must Go On 
 
QUEENは終わらない。」
 
そう胸を熱くしたのは私だけではないはずだ。
 
 
QUEENは、
フレディ・マーキュリーは、伝説である…
時空を超え再び証明された映画だった。
 

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心からの「おめでとう!」をおくりたい絵面
 
 

ロングラン上映中! 映画『ボヘミアン・ラプソディ』に感動する人・しない人

異例のロングラン上映。
 
私はなぜ繰り返し観るのか。
感動した…から。
どういうところに?
で、それはなぜ?
 
ここに来て、「感動しなかった」
という映画評に考えさせられた。
 
 
さてさて。
まずは私が感動した要因とおぼしき
【キーワード】を列挙しよう。
 
・バンドというもの
・家族の存在  
・自分の使命について
・閉塞感との戦い
・奇跡的な出会い
 
以上
 
これらはひとまず置いといて(←え?)
紐解いていくことにしよう。
 
 
 
QUEENの楽曲の素晴らしさは
演奏力の高さや
フレディの圧倒的な歌唱力
だけによるものではない。
鳥肌のたつような
美しいコーラス・ワークが
特筆される彼らの魅力のひとつだ。
 
しかもメンバー4人全員が曲作りをする
稀有なバンドだとも言える。
映画に描かれていたようにサクサクッと
バンド結成に至ったのではないかもしれない。
ただ、どんなバンドの結成も
奇跡的な巡り合わせがある…
ということは間違いない。
QUEENも然りだ。
学生時代のバンド活動で
私が演者だった頃のこと。
ライブとはなんとも不思議な
ある種異様な光景だと感じていた。
演者が聴衆と対峙しているという光景だ。
 
私はスポーツが苦手である。
球技の殆どを恐れている。
テニス、バレーボール
ましてやドッチボールなんて
格闘技級に関りを拒みたい恐ろしさだ。
 
逃げ場がないやん!
(そもそも逃げようとすることが不謹慎)
 
そのほかの球技で言うと
コートが広かったり
終始対面式なのではなかったり
逃げ場がある。
(だから逃げんなよ)
 
 
話をバンドに戻す。
 
裏にスタッフは控えているとはいえ
ステージ上の数名を遥かに超える人数の
聴衆と面と向かっている光景、怖い。
 
人は面と向かっていると
抱き合うこともできるが
殴り合うこともできる。
提供した音が気に入られなければ
そっぽを向かれる。
気に入られれば
やがてステージ上と客席の人々が
円陣を組んだような一体感を生む。
 
ただ耳で音を捉え目で熱狂を確認し
熱された空気を肌で感じるだけでは
得られない一体感。
目に見えるものでもあり
目に見えないものでもある。
とても豊かな時間に身を置くことになる。
 
ことの最中には気づかず
後々になって
その一体感を思い出と共に匂いが蘇るのは
きっと私だけではないと思う。
 
 
 
ちょっと質問させて欲しい。
「自分の使命を知っている」
と言い切れる人、手ぇ挙げて。
或いは
「使命とは?を考えたことがある」
という人も手ぇ挙げて。
 
挙手した方の中でこの映画を観た方々、
「感動した」か「感動しなかった」かを
思い出しておいて欲しい。
 
因みに私は
「絶賛、己の使命模索中」の身である。
 
 
 
【注・ネタバレ箇所】
 
 
I decide who I am. 
I'm going to be what I was born to be.
A performer…
who gives the people what they want.
 
【ネタバレ箇所おわり】
 
 
自分の使命を知っていた。
正確には「見つけた」と言うべきだろう。
 
それがいつのことか
具には描かれていなかったが、
ウェンブリーの大舞台を前に
メンバーに打ち明けるシーンに
私は息を飲んだ。
己の使命を知らない私は
ひどく心を揺さぶられた。
平たく言って猛烈に感動した。
 
祖国を追われ
家族と英国に渡り暮らす年月。
貧困。
人種差別。
日本に生まれ育った私には解り得ないまでも
その閉塞感は想像に難くない。
父親との確執の様は
母を想う我が身に置き換え
息苦しくも感じられた。
 
アイデンティティを模索しながら
葛藤し寂寥感に押しつぶされそうになる。
けれど如何なる心情・状況にあっても
音楽と共にある純真。
音楽に心情を吐露し想いを託す。
そして、彼の音楽は
フレディの全てを
受け止めているように思えた。
 
「両想いだなぁ。」
 
純粋に羨ましく思った。
 
 
 
多くの好評レビューの中には
当然アンチ評も見られた。
所謂アンチ評は多くがQUEENのファン、
恐らく古くからの
或いは熱心なファンによって書かれていた。
それらは「史実と違う」
と指摘するものが多く意外に感じた。
  
逐一違(たが)わず史実に則っていないと
許せない理由があるということだろうか。  
しばし考える。
 
僭越ながら
QUEENに魅了された後輩として
思い巡らせる時間を割こうではないか。
 
 
 
メンバー4人全員が
ソング・ライティングすることを
映画を観て知ったほど
"うっすらファン" だった私だ。
 史実にこだわる彼らは
QUEENの熱烈かつ真摯なファンである。
 
事実を重視したいとする
真性ファンである彼らのの評価には、
批判をはるかに凌駕する
愛のボリュームがあった。
QUEENへの並々ならぬ愛情を感じた。
 
これはアレだ、
「脳内にインプットされた史実」が
映画を観て拒否反応を示した…
みたいな「現象」なのかもしれない。
 
絶対音感を持つ友人が言っていた。 
♪ドレミ~ と口にしながら
ミファソの音階で唄うのを聴くと
条件反射で鳥肌が立つ、と。
 
そんな感じだな、多分。
考えたんじゃなくて感じた…
その結果なのでは?
 
というところに着地した。
文字にするとあっという間の結論だが
来る日も来る日も考えた
昨日までの時間が幻のようだ…。
 
 

何かに触れてどう感じるかは人それぞれ
何を書いても自由と思っている。
けれど、中にはただただ
「感動できなかった」ばかりの
説明不十分なものあった。
 
概して「自称QUEENファン」の面々だ。
ぺらっぺらの愛が綴られている。
 
あまつさえ
「作りものだから感動できなかった」
には正直、残念無念を感じる。
 
かつて “鶴の一声100万円”
とまで噂された映画評論家おすぎさん。
彼の言葉を思い出した。

「この映画を観て
    泣かない人は人間じゃない!」  

若い頃の私なら
ペラッペラのアンチ評を
血の気多くぶった切ったかもしれない。
 
「首洗って出直してこい」
「おとといきやがれ」
「ほな、ライブ映像でも観とけや。」
 
吐き捨てていたかもしれない。
(いや、内心ちょっと吐きました。)
 
 
アンチ評をめぐり
そんな「説明不足の表現お粗末組」
片腹痛しと一蹴していた。
 
しかし、2度3度4度と鑑賞し
心を揺さぶられる自分を知る度に
お粗末組を気の毒だとも思うようになる。
「なぜ私は感動したのか」同様に
なぜ彼らは感動できなかったのか」
を考えるに至った。
 
私はその偉大な人物に
おこがましくも自分の姿を投影した。
 
この映画に
心動かされることがなかったという人々は、
フレディの自分探しの旅を
捉える必要がなかったのかもしれない。
それは彼らが現状の自分に満足し
既に自分を愛せているから。
彼らは自分の使命を知っているから。
だとしたら
それはそれで美しく素晴らしいことだ。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
“うっすらファン” である
私の素直な気持ちを
真性ファンにそっと伝えておこうと思う
 
 
4人が奇跡的に出会い、
青い時代を経て輝かしい黄金時代を築いた。
「家族」のようになった4人。
「家族」となったからこそ
すれ違う時代を迎える。
フレディの葛藤と覚醒を経て
「家族」が再び動き出す。
『輝ける日々』を取り戻し始める。 
 
 
今作品のキーワードは
『family・家族』ではないかと思う。
ここでは
フレディの育った家庭のことでもあり
QUEENという
家族にも似た仲間のことでもある。
 
史実ではウェンブリー以前
直近にもQUEENのライブ活動はあった。
(そうだ)
 
とは言え 
ライブ・エイドでのパフォーマンスが
蓄積されていた
重苦しいメンバー間の空気を一新した。
その事実が伝わるだけで
十分ではないかと思うのだ。
 
QUEENは「息を吹き返した」。
 
 
 
「ウェンブリー(スタジアム)に
  屋根がないなら空に穴をあけてやる!」
 
ライブ・エイドの熱狂の中
ウェンブリー上空に
確かにあいたであろう穴を
ジョンが微笑みながら見上げる。
それは生まれ変わったQUEEN
未来に続く突破口だ。
 
QUEENの存在だけでは
もはや当人たちにとっても
ファンにとっても意味をなさない。
再び躍動し始めたその瞬間に
劇場の観客は激しく心を動かされる。
そして
ウェンブリー・スタジアムの観客と
QUEENの鼓動を共有したのだ。
 
激しく余談だが
ジョン・ディーコンを演じる
私が初めて見た彼の映画は
『マイ・フレンド・フォーエバー』 
奇しくもジョセフは
幼くしてHIVに感染した少年を演じていた
「あれぇ、大きなったなぁ!」
近所のおばちゃん風に呟くのを
禁じえなかった。
 
 
もとい。
ウェンブリーでQUEENが息を吹き返す。
フレディを見守ってきた人々(≒家族)の
笑顔がスクリーンいっぱいに映し出される。
ステージの4人と聴衆が一体となる。
 
清々しいまでのハッピーエンドに
私は心洗われ安堵し涙した。
 
既に切って落とされた
フレディの病との戦いの幕。
そのことを
一瞬だけ忘れられた刹那でもあった。
 
己の弱さと闘うことをやめなかった
フレディの勝利に涙する。
史実なんて関係ないとする
薄っぺらファンだからこその感動
だったのかもしれない。
伝説であることには変わりない。
私はそれで充分。
お腹いっぱいだ。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
これを書き始めた頃
「ボ・ラプ28回目を鑑賞」
SNSに投稿されていた方の鑑賞回数が
今や33回に!
5回分を2週間余りで更新!  
(ざっと計算して
 2~3日毎の鑑賞ですよ、奥さん!)
 
 
私の初回鑑賞から8週間…
5回目を鑑賞しないではいられない気分だ。
 
 
 
       受賞おめでとう!(仮)】
 
の回に続く…予定)
 

 

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Freddie, we all miss you.

 

映画『ボヘミアン・ラプソディ』/フレディに恋をした

今年観た映画は35本ほど。
若かりし頃に比べると随分と少ない。
 
ま、少ないなりにトップ3を考えた。
ボヘミアンラプソディ』が
ラン、ク イーン!
 
 
 

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2018年11月9日ロードショー
 
2018年11月9日の公開日から
2週間目に劇場に足を運んだ。
その日は休日ということもあり満席。
客層は実に様々で年齢層も幅広く、
そのことが、鑑賞前から
私の胸を熱くしていた。
 
映画の感想等については
また別の機会に…として、
QUEENファンは言うまでもなく
すべての音楽(ROCK)ファンに
観て欲しいと思った。
 
観客の年齢層がさまざまであるように、
感じ入る場面もひとそれぞれ。
心揺をさぶられる
拾いどころがちりばめられていた。
 
「ラスト21分」
に象徴されるライブシーン。
スクリーン前、
各々のオーディエンスが
時空を超えてひとつになった。
 
 

よくよく考えてみ…るまでもなく、
ラスト21分のパフォーマンスまでに、
いやそれ以前の
ポップコーンの列に並んだ次点でも
観客は重々承知している。
「出演者は物語の本人たちではない」
と言うことを。
 
それでもスクリーンの中の
あのパフォーマンスの盛り上がりが、
スクリーンに向かう観客の
鼻のズビズビ音をも
盛り上げてしまうのは何故?
エンドロールが上がり照明が灯り、
パフォーマーのいない舞台へ
拍手が上がったのは何故?
 
これはこの映画を観た人の宿題…
冷めやらぬ興奮を携え、
そんな風に考えながら電車に揺られた。
 
公開から約7週が経過し、
私は3度鑑賞してなお
4回目鑑賞を視野に入れている。
インスタをフォローしているある方は
8週目にしてなんと
20回鑑賞しているそうな。
週2‐3回ペースですよ、奥さん。  
 
 

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バンドは家族

そして、鑑賞して以来、
私の中で留まることのない
QUEENへの関心。
 
楽曲の素晴らしさを
再認識したことは言うまでもない
 
動画などで初めて目にした
若かりし頃の姿」
 
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言うことナシ
 
 
「フレディ全身タイツ期」よりもっと前。
真っ白な衣装を着こなす
か細い肢体。
胸毛の目くらましで気付かなかった
美しい肢体。
ズッきゅーん。
シア・ハート・アタック
(1974年アルバム_Sheer Heart Attack) 
さながら、彼らは射貫く、私のくハート。
体言止めがやまない。  
 
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妖精・胸毛・天使
 
 
また、
男性・女性それぞれの音楽評論家の
QUEEN(フレディ)評の違いも興味深い。
唯一無二のライブ・パフォーマー
デビュー当時及びそれ以降の
彼のルックスの語られ方には
様々あったようだ。
 
男性評論家は概して
ストレートに褒めはしない。
カッコよくない奴が
   カッコつけてるのがイイ!」
そんな、
どことない上から目線の褒め方を
する人が多いと感じた。
(平たく、負け惜しみとも言う)
一方女性評論家は楽曲の良さを大前提に
ルックスを好評価する
 
 
70年代
まだ来日を果たしていない頃の
QUEENのステージ。

その客席で

当時ミュージックライフ誌編集長

東郷かおる子さんが受けた
衝撃と興奮に共感しまくる。
 
優れた音楽性は大前提。
そしてきらびやかなステージ。
そうれはもう血沸き肉躍る
「めっけもん」だったに違いない。
 
「女性に受けないはずはないと思った。」
東郷さんは言い切る。
QUEENの醸し出す清潔感は
男性には感じとる必要のない魅力
ったのかもしれない。
男性目線と女性目線の違いは歴然だ。
 
東郷さんの予想通り、
QUEENは瞬く間に
日本の女性ファンを魅了した。
 
 

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こりゃ女子にウケますぜ
 
 
私の「女子目線」から見た
70年代のQUEEN
清潔感云々だけではない魅力が満載だ。
 
フレディ、
めちゃくちゃカッコイイけど?
真っ黒な長髪にスレンダー過ぎる肢体。
目が合ったらそらせなくなりそうな
鋭い眼光は時にとても甘く
憂いをたたえる…。
 
真っ白なサテンのスーツ(ツナギ)
なんて着た日にゃぁアータ、
メロメロですよ。
 
でもってピアノまで
弾いちゃったりしてよぉー。
やたら姿勢が良いのもなんか萌え~。
 
男性陣、僻んでた?
(認めてまえ!)
なんて訝ってしまう。
 
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ピアノを弾く姿勢がやたらと良いのもイイ

 

 
 
「音楽が好きで内向的なアラブの青年」
(両親がペルシャ出身による?)
デビュー前のフレディを
そう表現した人がいたそうだ。
 
かつて私が知っていた彼の印象とは
ほど遠い形容のされ様。
それも今となっては頷ける。
 
ストーカーさながら、
目を皿にしてデビュー前後の画像を探した。
 

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シャイ・ボーイ
 
 
 
 
共にバンド活動をしていた友人の影響で
QUEENを聴いていた学生時代。
 
中でも気に入ってよく口ずさむ
【KILLER QUEEN】(1974年シングル)
唄いながらついつい
ひげダンスを踊ってしまう。
 
“Don't think, feel !” を
知らないうちに体現してしまうほど、
私の中のフレディ像は永らく
「ヒゲのおいさん」であった。
 

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ヒゲのおいさん
 
 
あの立派なガタイのヒゲのおいさんに
かような美しい青年期があったとは…。
 
「恋しちゃった。」
 
私はここに告白する。
永遠の心の恋人決定で私の人生安泰である。
 
今の自分の年齢で20代のフレディに
「恋しちゃう」ことも、
或いは存命であるとする70代の彼に
「恋しちゃう」ことも、
私という凡人の常識のなかでは
「おいおい、待て待て。」
一家言申し立てたいことではある。
(そもそも…は置いてといてもらおうか!)
 
しかし私は知ってしまった、
止められない気持ちがあるということを…。
その想いは
【Don't stop me now 】(1978年シングル)
もっと言うと
【I was born to love you】
(1985年ソロ活動シングル)である。
ウマいこと言いたかったがため
ばかりではないのが我ながら恐ろしい。
 
誰が傷付くでもない。
良しとしよう。
 
Freddie, we all love you.
 

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目で殺す!

ノースリーブが着られない  半袖厳禁?就職活動

今世で二度としたくないことがある。

 

就職活動

 

汗ばむ季節に

わざわざスーツを着て行う就職活動。


昨今の就職活動は

私の時代のやり方とは随分異なるらしい。

履歴書を手書きで郵送…

なんてことはほぼほぼないと言う。

取って代わるのはやはりネット。

エントリーシートを提出(送信)、

これが最初のご挨拶というわけだ。


茶封筒を抱え

ドキをムネムネさせつつ郵便局へ行く、やら

面接での

「お、顔に似合わずきれいな字だね(笑)」

なんて無駄話やらも生まれまい。

昭和生まれにはちょっと寂しい現実だ。

 

しかし、

いわゆるリクルートスーツに

明らかな変化は見受けられない。

 

「上着で隠れるのだから中のシャツは

    半袖でイイと思わないように。」


「上着の袖口からシャツが見えるかどうか

      面接官には見られてますよ。」

 

大学の就職説明会で指導官から

公明正大に述べられたのだった。

何のための長袖ワザワザ?

 

え、伝統!?

 

は?

 

理由の付かないことの全部を

「伝統」で括ってくれるでない。

そんな長袖、単なる我慢…

ひいては嫌がらせではないか。

「我慢が美徳の日本人」

そんな伝統は

もはや時代錯誤ではないだろうか。

と、我慢が好きな私が言ってみたりする。

自戒の念を込めてみたりする。

こっそり己を鼓舞してみたりする。

 

 

上着も上着で、

猛暑の中、太陽光の吸収し易さを

選りすぐったような色味。

見かけると

「明けない夜はありませんよ。」

心の中で彼・彼女らに声を掛ける。

ついでに言うと、幼子を連れ

ヨレヨレになっている親御さんにも

「明けな…(以下同文)。

 


半袖って素晴らしい。


腕が外気に触れるか触れないかで

こうも体感温度が変わってくるか!

と毎年感動する。
ノースリーブともなると更に肌の露出が増え

もっと素晴らしい涼しさなのだが私は着ない。

少なくとも外出の際は着ない。

 

何故か。

だって、恥ずかしい。

何故恥ずかしいのか。

だってだって腕が太いから!

 

体重を落としても

「肩から脚」

の様相が頑なに維持されるのは何故だろう。



ヨガ・ピラティス、フラダンス…

ちょっと習ってみたいなぁ

心身ともに絶好調な時の私は思ったりする。

しかし、それらの服装・衣装を鑑みて

結局は断念するのだった。

 

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肩どころか、脇まで丸出しですやん

 



牛乳を飲んだコップでそのまま

白濁した麦茶を美味しく頂ける私だ。

そんな風に大雑把な私でも

脇の手入れはまぁまぁしている。
(まぁまぁかよ)

見せて見られて互いに頬を染める…

そんなことにはしていないつもりだ。

 

でも、恥ずかしい。
見せたくない。
見られたくない。
私の脇。

 

言わずもがなの水着

中3の夏を最後に身に着けていない。

聖子ちゃんが語り部となる

♪水着持ってない~ のアノ女子。

彼女にはきっと続きがある。

「でも、あなたのためにこれから買うの」

的な何かが。

 

そんな【ひと夏の脱皮感】

私にはこれまでも

きっとこれからもないだろう。


「脇出し恐怖症」を克服したい自分と、

脇・二の腕を露出を避けることを

恥じらいとして保ちたい私とがいる。

好きにすりゃーイイ、と私の中の私が言う。

まずは二の腕の揺れるフルフルを

どうにか引き締めてのち改めようか。

そうこうしているうちに

またひとつ私の夏は終わっていく。

 

 

つづく(かもしれない)

 

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脱皮して ひと夏を終えるヒグラシよ…



採血で卒倒する人しない人

 20代の若い友人が言う。


「注射が怖いんです。
  採血なんてもっと怖くて…。」

明朗快活を絵に描いたような
ハツラツとした彼女の意外な一面
というヤツだ。

「かわいいとこあるやん。」

とギャップ萌え。

実際、顔もかわいいところがズルいと

私は僻んでしまう。


注射針を前に渦巻く彼女の恐怖感に、
看護師達は

「こいつぶっ倒れるぞ」

と言わんばかりに目くばせすると言う。

「横になる場所を確保だ!」と。
(しかし倒れたことはないらしい。)

若かりし頃の私は
採血の度にぶっ倒れていた。

 

細い血管を太らせるため、
私の腕にゴムバンドを
キツく巻いている看護師に向って私は言う。

「すいません。
   暫く私に話しかけててもらえますか?」

恐怖心を悟られまいと
へっちゃら顔でナゾのお願いをしていた。
気を紛らわせたかった。

採血し得る血管はなかなか出てこんわ、
みょうちきりんな申し出はあるわ、
看護師の困惑が毎回伝わってきた。

ぎこちないトークの末

採血は無事に終わった…と見せかけて

ぶっ倒れる。

迷惑至極。

 

トーク、意味なし。
気、紛れてない。

そんなことなら
予告しておいた方が看護師のためだ。

時空を超えて、衷心より陳謝いたす。

いつからだろう。
採血される様をガン見
するようになったのは。

献血中も同様だ。
成分献血の回は特に目が離せない。

一旦取り出した真っ赤な血液が
遠心分離機にかけられる。
分離された成分(血漿・血小板)は
朝イチの尿のような黄色をしている。
カテーテルを通して
半透明のバッグにおさまった尿…
かと思いきや、
それは誰かの命の糧となり得る
私の血液の一部なのだ。

これをして
【奇跡の小宇宙・人体】
を感じないではいられない。
献血ルームの雑誌もテレビも
私には無用の長物だ。

 

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元々女子校だった出身校には看護科があった。3年間で准看護士、という訳だ。現在、准看護士はいない(新たに誕生はしない)って知ってました?看護科はなくなり、中高一貫校になった母校を偲んでコレ読んでみようかな。読んでどうする、とか言いっこナシで。


さて、若い友人の「恐怖心の元」
は何なのだろう。

針が怖いのだろうか。
尖端恐怖症というやつだろうか。
尖がった上に硬い物体が
自らの柔肌を貫通する様が
想像だに怖いということなのだろうか。

チクッまでの時間?
そもそも痛みが怖いのだろうか。

 

そういう自分はどうだったのだろう。
何故ぶっ倒れていた?

先に述べた「恐怖心の元」予測
それに似た理由だったかもしれない。

自分の身体を今より慈しむがゆえの恐怖
だったように思えてきた。
自らの身体を絶え間なく流れる血液が
取り出される恐怖。
針穴ヒトツさえ
身体に傷がつくことへの恐怖。

痛みに強いか弱いか…
によるところも大きいだろうが
些細な痛みに関しては恐怖心はなかった。

 

 


つづく

はじめての映画 『グーニーズ/The Goonies』(1985年米)

子どもの頃、【東映アニメまつり】意外で

はじめて館で観た映画は

グーニーズ/The Goonies』

(1985年米)と

『サンタクロース/Santa Claus:The Movie』

(1985年英米)だった。

 

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ふたつ?

そう思った方は都会育ちの都会っ子だ。

 

私の住む田舎町近隣では

上映本数の管理上なのか、

人手も足りないしめんどくさくてなのか、   
映画1本の料金で2本立てで、

時には3本立てで映画を観ることが常だった。


それを当たり前に思って育ったため、

1本きりの映画を館で観た時は

それがとても贅沢なことに思えた。

社会人になってからは

毎週何本もの映画を観る‘都会人’になった。

 

お姉ちゃんとお父さんと3人で

『グーニース』を観る!


待ちわびていた記憶に間違いはない。

当日、いざ劇場へ足を運ぶと…

あろうとこか火事で館は焼け落ちていた。

 

お恥ずかしい。

「死傷者はなかったか!?」

などを真っ先に問うところ。 

「えーーー!グーニーズはーーー!?」

幼い私は父に噛みついた。

幸い損傷なく残ったフィルムは、

時間を改め

別の館での上映がかなったのだった。

劇場内はなんと満席。

私たちは立ち見で2本の映画を鑑賞した。

短編ではない。

がっつり長編を2本だ。

子どもとは言え

立っている疲れを忘れるほどに

私は映画に魅了されたのだと思い返す。

 


いかにもアメリカらしいお話だった。

伝説の海賊「片目のウィリー」が残した宝。

オレゴン州の港町に住む少年少女が

探しに出かけるの冒険物語。

主人公マイキーが私と同じ喘息っ子だった

とか、

食べたことないモノいっぱいやなぁ

とか、

子どもだけで危ないことするなぁ!

親は何してんの?

とか、

私の記憶に散りばめられた

忘れ得ぬグーニーズの欠片は今も蘇る。

 

当時は気付かなかったが、

子どもの虐待についても描かれていた。

顔面が歪むほどの虐待を

実の親から受けたスロース。

彼を見て自分に言い聞かせていたのは

一体なぜだったろう?

「スロースを怖いと思ったらだめ。」

「優しい子(身体的には大人)なはず。」

ハラハラドキドキ先行の気持ちに

暗い影を落とす彼の存在。

受け入れがたく感じていたのかもしれない。

グーニーズはたのしくあって欲しい!

と幼い私は我がままに

期待したのかもしれない。


アメリカってそうそうこんな感じ。」

「日本と違ってなんかカッコイイ。」

なんしか色々デカい。故にかどうかスゴイ。

その程度だ、幼い私の知るアメリ感。

 

アメリカすげー!」

決定的に思わせたのは

シンディ・ローパー唄う主題歌

“The Goonies R Good Enough” 

を耳にした瞬間ではなかったかと思う。

シンディの歌唱シーンも劇中に登場し

私は目でも耳でもヤラレた。

「このねーちゃんくるってる。」

畏怖しながら歓喜する自分を感じた。

 

スロースをめぐっては

日本人に馴染みのない方法ながら、

実にハッピーな結末を迎えた。

幼い私は安堵していた。

嬉しいのに涙がでそうで

胸はなんだかドキドキしていた。

 

そしてエンドロールで再びのシンディ。

後の私がみるみるアメリカナイズ

されていく要素として、

確実に初期の爪痕を残した映画だった


あら。

別の映画について書くつもりが

グーニーズ』に取って代わられている。

『サンタクロース』についてはまるで触れてないし。

っていうか、内容を全然覚えてないのだ。

ま、殺人も恋愛のドロドロもイチャイチャもなく

実に平和なお話だったはず。

という希望的かつ予想上の感想を

自信を持って添えて一旦終わることにする。

 

はじめての映画館映画がこの作品で幸せだ。

“Goonies Never Say Die!”

数十年に一度の大雨特別警報 愛媛・高知・岐阜 最大級の厳重警戒

実家のある地方にしかれた

大雨特別警報が解かれぬままだ。

 

自宅の2階での

孤立生活を余儀なくされた知人。
大雨のなか断水で飲み水の入手も

ままならないと言う…。
早々に避難所に行ったばかりに

道路の遮断で身動きが取れなくなった

母の友人。


今、青空の下で

PCに向っている自分がもどかしい。

 

私は阪神・淡路大震災

東日本大震災の揺れの恐怖を

震源地に比較的近い土地で体感した。


その真っただ中にあっては、

生々しい恐怖や先々への不安が

心身ともに充満していた。


家族に無事を報告するも、

目の前の被害に心はずっと捕らわれていた。

今回、実家周辺の情報を

電話やSNSで目の当たりにし、

自分に何か出来ることは?

と気持ちが落ち着かない。


実家の母と喧嘩していても

何事もなかったように電話で話が出来る…

目の当たりにすると、

いかにくだらない喧嘩なのかも

ありありとわかる。

 

この小さな島国の人々が

天災の度にそれぞれに心を痛めている。


飛躍し過ぎかもしれないが、

そんな風に

人を思う気持ちが備わった人間は

戦争なんてせずにいられる

強く賢い生命体であるはずだ。

 

被害に遭われ亡くなった方の

ご冥福をお祈りする…。
これ以上の被害が出ませんよう…。

 

嫁いだ娘の為のお弁当や箱一杯のウェス、

雑巾などを用意して待っている

お母さまのFB投稿を目にした。
道路が遮断されて届けることも出来ない。

どんなに苦しい思いをされているか…。


食事も喉を通らない心持ちに

なったりもするだろうと思う。
でも、ひどい状態が回復し

助けが出せるようになった時に

支援する側は準備万端でいなければ!
きちんと食べて

体力温存しておかなければ!と思う。


今はまだ、身動きが取れないでいる

支援する側の気持ちも道路も

はやく自由に行き交う時の訪れを祈る。